見出し画像

『北里マドンナ』カバーの変遷を追う

物語の主役よりも脇役に惹かれる傾向の強い私は、『なぎさボーイ』『多恵子ガール』よりも『北里マドンナ』派だ。雨城なぎさ視点の『なぎさボーイ』、原田多恵子視点の『多恵子ガール』より知名度の劣るこの小説を、私はこよなく愛している。今日はそんな『北里マドンナ』の知られざる「カバー問題」を取り上げたい。

『北里マドンナ』はもともと、集英社がこの時期に刊行していた「Cobalt Selection」という名称の単行本シリーズの一冊として出版された。雑誌『Cobalt』に4話連載されたあと、書き下ろしを加えた単行本として『北里マドンナ』は1988年11月に発売(カバーは渡辺多恵子)。その後コバルト文庫に収録され、文庫版『北里マドンナ』は1991年3月に刊行された(カバー・挿絵は江野和代)。「Cobalt Selection」はコバルト文庫より大人向け路線を意識していたようで、本文にイラストは入っていない。単行本版のカバーは、コバルト文庫版『なぎさボーイ』『多恵子ガール』に引き続き、漫画家の渡辺多恵子が手がけた。

画像1

多くの人にとって、なぎさをはじめとするキャラクターのイメージは渡辺の描くヴィジュアルで固定されているだろう。あまり知られていないが渡辺はあくまで文庫版の挿絵担当者であり、初出の雑誌『Cobalt』連載版では、「なぎさボーイ」「北里マドンナ」の挿絵は峯村良子だった(『多恵子ガール』のみ文庫書き下ろし)。雑誌版の挿絵が峯村なのは、もともとも峯村が『蕨ヶ丘物語』の挿絵を担当しており、読み切りとして始まった「なぎさボーイ」がこの物語と地続きの作品であったからだと推測される。同じ蕨町を舞台にした作品として、引き続き峯村が担当したのであろう。上の写真は『Cobalt』1984年<冬の号>掲載の「なぎさボーイ」。『なぎさボーイ』シリーズは、雑誌版は峯村良子、書籍版は渡辺多恵子の挿絵という形態で刊行されていった。

ところがコバルト文庫版の『北里マドンナ』は渡辺ではなく、挿絵が江野和代に変更になっている。おそらくここに至る事情は、単行本版『北里マドンナ』のカバーデザイン変更の件が絡んでいるだろう。『北里マドンナ』は途中でカバーデザインが変わるという、異例の措置が取られた一冊だった。

画像2

上の写真を見ていただきたい。同じ『北里マドンナ』であるが、カバーデザインが異なっている。左のものは刊行当初のデザインで、「氷室冴子」の文字が不必要に大きく、肝心のイラストが一部隠れてしまっている。素人目から見ても、「なぜこのデザインでOKが出たのだろう」と首を傾げたくなってしまう仕上がりだ。右の本では「氷室冴子」の文字が修正され、イラストが引き立つデザインに変更された。

氷室冴子は『月刊カドカワ』1990年2月号に、『北里マドンナ』書籍化のトラブルについてのコメントを残している。「いろいろお骨折りいただいたわりに、本をつくる過程と結果が、こちらの意向と完全にくいちがっていて、今にいたるも痛恨です。一度も読みかえしてないじゃないかな(註:ママ)。温厚なわたしをここまで怒らせるなんて、ただごとじゃないぞ。」この言葉からも、氷室自身にとってもこの本の仕上がりが不本意だった様子がうかがえる。氷室が怒った内容の詳細は記されていないが、カバーの件もそこに含まれていることは想像に難くない。

カバー変更のタイミングについては、当初は2版から変わったと考えていたが、手元の書籍を確認したところどちらも初版だった。重版のタイミングでというのは私の勘違いだった。修正版カバーを改めて見たところ、前バージョンにはない消費税込みの価格が記されていた。このことをふまえると、1989年4月の消費税導入に合わせてカバーをかけ替え、その時にデザインも変更したのではないだろうか。

『北里マドンナ』カバー変更のことは、残念ながら『氷室冴子とその時代』には盛り込むことができなかった。というのもこの時期の『月刊カドカワ』が国会図書館では欠号しており、調査をするのが遅くなってしまったため、上で紹介した資料を見つけた時にはもう修正できない段階となってしまっていた。『北里マドンナ』をめぐる同時代の動きとして盛り込みたかったが、間に合わなかったのでこうしてnoteで取り上げている。

大好きな『北里マドンナ』だが、氷室冴子にとっては苦い思い出が詰まった作品でもあるのだろう。そんなことに思いを馳せながら、手元の『北里マドンナ』3冊を眺めている。主人公の森北里は大人びた自意識と屈折した内面が味わい深い男の子だが、この作品に登場する麻生野枝や林葉さゆりなどの女の子もまた素晴らしい。『北里マドンナ』については語り足りないので、また別の機会に取り上げたいと思う。

サポートありがとうございます。サポートしていただいた分は今後の調査・執筆費用として大切に使わせていただきます。