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なぜサガカルBarプロジェクトなのか

なぜサガカルBarプロジェクトなんてやろうと思うに至ったのかを自己紹介も兼ねて書いていきたいと思います(隙あらば自分語り)。人生の棚卸もしておきたいので。

どうでもいい方はブラウザバックをお勧めします。


……時は宮野真守生誕の10年後、福岡の片田舎にて私は生まれました。よくあるような一人っ子の核家族ですくすくと育ちました。高校の頃までは自分は普通だし、人間は普通であるべきだし、普通であれば幸せになれると思っていたように思います。

無邪気な人生の絶頂期でした。

しかし、同時に自分は人より優れているように思っていたし、それを否定される状況を出来る限り避けていました。完全に中二病ですね(笑)。精神分析的には回避性パーソナリティ障害となるのかもしれません。

中学の頃は流されるままにサッカー部に入りましたが、サッカーは下手でしたし周囲にもなじめず、ラプラスの悪魔に取りつかれ科学好きになり、この頃家に来たADSL回線によってアニメなどのオタク文化に出会い、めでたく隠れオタクになりました。

高校では人一倍あった体力を活かそうと陸上部に入り、2年目でそこそこの結果を残してしまい、科学が好きで勉強も出来なくはなかったので、より中二病が悪化したように思います。もちろん(?)ずっと隠れオタクです。

邪な人生の絶頂期でした(笑)。しかしここからです。 

高校陸上の最後の大会で結果が出せず、大学受験は試験問題自体よりも「受験勉強なんて人生で本当に必要なのか」などについて一生懸命考えてしまい失敗、浪人中にさらに拗らせ(『PSYCHO-PASS』に出会い衝撃を受け、シビュラシステム信者へ)、その調子のまま滑り止めで大学に入り、悔いを残さないためにも陸上部に入ったが1年目の駅伝直前に重い故障、変わらず試験勉強が求められる大学生活3年目で爆発しました()。

(具体的な爆発四散の様は本当に長くなるし、恥ずかしすぎるので省略)

大学4年目からは研究が出来るということで持ち直し、院までだましだまし行きましたが試験勉強的な基礎に自信が持てなかったこともあり、アカデミアには進まず社会人へ。入社直前で希望の配属先がおじゃんになり、消去法的に配属された先との相性が最悪で大爆発。実家に帰って、父の(無自覚に)真綿で首を絞めるようなクソさを抜け出そうとするも、再就職がうまくいかず、気が付いたら2年経っていました。

その間に自分を見つめなおし、イロイロ考えました

自分は科学が好きだけど、先端技術とかSFが好きなだけで、地道なデータ集めや、それに伴う「社会人基礎力」とかは得意ではないこと。そもそも新卒カードフル活用で派遣1社しか内定取れてなかったんだし、実力なんて無い。一方で、ブランド品とかの贅沢は一切興味ないし世間体も気にしないし、好きなことで最低限生きられれば幸せだと思う。そんななのに、なぜまたレア排出率低そうな配属ガチャを一生懸命引こうとしているんだろう。そう考えると元の業界の正社員を目指せなくなりました。

かといって、アニメ業界などに入ろうとも思いませんでした。それは年齢や能力的なこともさることながら、そもそも自分で作品を作るのではなく、他人の作った作品や新しい解釈で驚きたい、そしてその驚きをシェアしたいからです。それにそういう分かりやすいことは誰かがするだろうし、誰かの方が上手くできるだろうし、僕は何かを組み合わせてよく分からないけど新しいことをする方がやりたいし、性に合ってるとも思いました。そして……

「そんな時、某アニメの聖地巡礼スタンプラリーでオーセンティックなBarに初めて入ったのです。初めて飲む丁寧に作られたお酒の美味しさや、思ったよりも堅苦しくなく落ち着く空間で、その日巡った聖地の風景などに浸れる体験に感動したのを覚えています。」
(サガカルBarプロジェクト始動|https://t.co/vbyXJtGfxT

まぁ、そこから本当にバーテンダーを目指すまでには時間がかかったし、目指し始めたもののバイトすらぜんぜん採用されないし、引きオタだった自分は知らなかっただけでサガのファンコミュニティはかなり活発だったしでくじけかけていたけれど……でも……

「何度でも何度でも立ち上がれ 諦めなければ終わりは始まりへ変わる」

そう思って諦めず応募を続け、ご縁があったのがSAGABARでした。結果的にお酒を提供する勉強をしながら、佐賀佐賀の仕事ができるということで運命的なご縁だったような気さえします。ということでやっと……

「立ち止まった日々に 笑顔で手を振り 新しい夢を見よう」

「ヨミガエレ!」

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