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ケダゴロ『ビコーズカズコーズ』を見てきました。

下島礼紗率いるケダゴロ『ビコーズカズコーズ』を無事に見てきました。ビコーズカズコーズ東日本縦断ツアーの初日です。

開演前の「開演に先立ちまして…」影アナから、気付かぬうちにじんわり観客の不安に引き込む演出なのだけど、舞台のちゃぶ台に、何故か並んだ「毛」。怖いのだか滑稽なのだか分からない始まりなのね。ところが…
女性メンバーがみんながおもむろに「毛」を手にし、額に付けるのね。付け毛なのよ。前髪なのよ。あーーーこれは!と思いました。

と言うのも (ここからは私の勝手な解釈ですが) 、今日、たまたま午前中にヨハネの黙示録を読んでいたこともあってか、即座に想起してしたのが神の刻印と獣の刻印。「これ (神への信仰) を記章としてあなたの額の上に置きなさい」。そこから、敬虔なクリスチャンにとって前髪で額を隠す行為は、神への信仰という覆い隠す意味もありましてね。あくまでもキリスト教的に前髪を解釈すれば、です。つまり前髪の付け毛は、獣の刻印、最後の審判で救われない、そういうメタファーとしても解釈できる。勝手に深読みすればです。クリスチャンではない私がこんなことを言ってもいいのか分からないですが。でもまぁ……前髪で単純に福田和子の顔を表した、というだけかもしれないです (笑) 。

いずれにしても、ああ、私達は地球の重力の追跡から、逃れられない。私達は同志なのだ。そんな感情が溢れ、開始早々に泣くところでした、危ない危ない。主よ、あなたがお造りになった私達人間は、こんなにも罪深く滑稽で、哀しく、そして完全です。

深読みついでに、女性メンバーの頻繁な変顔は舞踏を思い起こさせたのだけど、他にもピナバウシュなど、オマージュ的に見れば見れそうなモチーフは幾つかあって、ところがそれを観客に論じさせるほどの意味を持たせない、というのかなぁ。でもまぁ……変顔は単純に福田和子の整形を表した、というだけかもしれないです (笑) 。

例えば……例えたくないんだけど、例えば土方巽の作品には西洋的キリスト教的モチーフがたびたび登場するわりに、その意味をごっそり抜き取ってしまって、たいへんスタイリッシュな目くらまし (?) をしたけれど、ケダゴロの魅力もそれと同じ系列に置くことができるのではないか。

土方、ピナ、アングラ、エロ……いやいや、ケダゴロはどこかのジャンルに着地しない。批評のポイントに着地しない。真のポップとは、どの属性にも着地しようとしない。どこにも着地しない命がけの浮遊。ケダゴロは真のポップなのかもしれない。

カズコーズツアー、一発目を堪能でき満ち足りてます。とにかく身体を酷使する舞台。無事に最終日まで走りきりますよう……無事に逃げきりますように。

大丈夫大丈夫、捕まらへんよ。

踊る。秋田 Vol.7
特別提携公演 ケダゴロ『ビコーズカズコーズ』



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