「幸福の基準を決めよ」by立川談志
「幸福の基準を決めよ」
落語家、七代目立川談志の数ある名言の中でも、談志家元に惚れた人たちにとってはおそらく最も大事なものの一つがこの言葉。私も16歳で高座を見に行き衝撃を受けてから今日まで、何度か自分に問うてみた言葉。
誰に言われたのでもない「幸福の基準」。例えば「一日中、虫見て過ごせりゃあ、それで立派。」と。
私の Instagram が虫画像で溢れているのはその影響、、、と、いうわけではないのだけれど、談志家元の言うところは、いいね!をもらったり、承認してもらったり、そういう他人様の評価がないところにいても、「あたしはこれがあれば幸せね」っていう基準を腹にドンッと据える、ということで。そうすればふと心がグラついても、すぐにそこに帰って来られる。
ですが、基準を決めるには、ひと通り色々やってみないとホントのところは分からない、ということはありますよね。「あなたみたいなそんなことしなくたって、あたしはこれで十分なんだわ!」なんて言ってみても、ややもすると負け惜しみとか意地っ張りになっていたりします、誰だって。やってみて初めて、これじゃなかった、これでいいのだ、と腹落ちするのかもしれません。
だってホントに自分の基準が決まってる人って、「何よ、そんなの」なんてわざわざ他を否定する必要がないですから。だから他人様のそれをも、ウエルカムできてしまう。それって、それぞれの幸福がぶつかり合わない、矛盾しない、という気持ちのいい場所に辿り着けるのかもしれないです。
私なんかは、「こんなに面白い芋虫の画が撮れたのに、なんで「いいね」が少ないんだ!?」とか他人様をめちゃくちゃ気にしてますから、全くもって、よろしくないです 笑。
「幸福の基準を決めよ」
結果的にそれが多くの人と共有され、多くの人に認めてもらうものになったとしても、いつも始点とすべきなのは、これなのでしょうね。
世の中はますます混迷していくように見えますが、しかし外側がどうあろうと、自分の羅針盤は、いつだってシンプルに、自分の中にあるのかもしれないです。
「幸福の基準を決めよ」
立川談志の高座は衝撃の体験でした。出囃子が止んで、深々と下げていた頭をあげた瞬間、満席のお客が立川談志の引力に一気に一点集中して、大袈裟ではなく会場の空気が一変するのです。
「たった一人の人間にこんなことができるのか…」
感激に打ち震えました。
まくらを1時間もやって客席を爆笑でうねらせた後、噺のほうはさらりと「権助提灯」を。そうして大人たちがうっとりと満ち足りて帰って行くのです。私はその日から、夢中で落語を聞き始めたのでした。
談志家元は道で会った見知らぬ人に落語の事を聞かれて、その人ひとりを相手に、その場で落語を一席やったというエピソードがあるそうです。
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