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科学と反芻

Safeology研究所の田中です。

大学に入学して、いくつかの季節を経た二十歳のとき、初めての彼女が私にできました。彼女は聡明で美しく大変モテたので、私と付き合い出す過程にも色々なことがありました。高校でデザインを学び専門性を活かした仕事に就く社会人の彼女、田舎の進学校を卒業して国立大学の物理学科に身を置く女性恐怖症だった私。

ケンカをするたび、「悪い点を挙げてもらえば、議論して改善するよ。」という私と、「嫌なことを言うなんて恥ずかしくて出来ない。」という彼女。よくある、課題解決したい男性と共感を求める女性という感じでしょうか。

お互いに傷つけ合い過ぎてしまい、3年と6ヶ月が経ったある日、別れてしまいました。

早稲田大学の向後先生が実施しているアドラーゼミに、今年の4月から参加しています。アドラーは知っていましたが、しっかりと学ぶのは初めてです。先週末、そんなゼミに初めて対面で参加しました。

今回のテーマは「課題の分離」。NVC(非暴力コミュニケーション)やマインドフルネスを学び実践している現在の私ならば理解できること、それは、課題の分離は大切だけど、相手に直接指摘すれば、関係性は余計に分離する可能性が高いということ。

今年度の田中ゼミには、アドラー心理学をテーマに研究する学生3名がいます。彼女らとの課題図書を向後先生の「幸せな劣等感 アドラー心理学(実践編)」に定めたので、東京への新幹線内にて、kindleで読み始めました。

そこには、アドラー心理学の科学や理論について書かれていました。読み始めたばかりで、理解が間違っているかもしれませんが、私が今まで信じてきたデカルト・ニュートン・アインシュタインの科学とは別の世界。数学で言う公理(ルール)自体が異なるのかもしれません。

前回のnoteにて谷内さんが「そくざ」と「じっくり」について語られましたが、先週末の東京研修と今回のnote執筆で、この相反する共通性について、しみじみと感じることができました。

共通点は、真摯に、目の前の対象(ヒト・モノ・コト)に向き合う点でしょうか。

昔の私は科学的な思考のもと、そくざに課題解決を試みようとしていました。今の私は、課題を今ここに、じっくりと噛みしめます。

高校時代に大好きだった村上春樹「風の歌を聴け」に、こんな一文があります。

「何故牛はこんなまずそうで惨めなものを何度も何度も大事そうに反芻して食べるんだろうってね。」

村上春樹『風の歌を聴け』

文/田中洋一(Safeology研究所研究員/仁愛女子短期大

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