言葉と感情と別れと

言葉にするのは難しい。
常に変化する感情ならなおさら。

ただLINEを送る。
その作業さえ難しくなるように。

好きという気持ちは変わらないのだけど、
言葉にすると在り来りで、マンネリ化してしまっている。

一直線の言葉のように思えても、
そこにある気持ちや相手の気持ち次第で変わってしまうものなのかもしれない。

素直だと褒められた時もあった。
感情をそのままに伝えることが出来たはずなのに。

大人という経験が、ネットという情報が、
それが本当かどうかを吟味してしまう。

それはいつか相手が信用しているのかという疑いに変わって。

ありのままを受け入れて欲しいと思う自分と、
相手にこう見られたい理想の狭間に迷う。

純粋な言葉は、いつか上手く生きるための言葉に成り代わってしまって。

本当に伝えたい時には何かしら工夫が必要だとなってしまった。

求められるものが高ければ高いこそ、
自分がその供給に合うかどうかを計る。

ありもしない人と比べて、
自己嫌悪に陥り、勝手に自分を卑下してしまう。

自分は自分だと思う無意識下の確固たる自信は、
いつか架空の他人によって、本当の自分を見失うことになってしまう。

もはや相手ではなく、自分の心理状況との対話になってしまう。

根拠の無い、相手の描く自分の姿と
架空の他人に比べられた最悪の自分が残る。

自分と相手という関係の、個人的で絶対的な関係が、
いつしかは架空の他人の、周りと言われる者たちとの相対的な関係になってしまう。

相手と話せば解決するはずなのに、
自分の相手に見られたい理想が邪魔をし、
個人的に解決しようとする。

卑下された自分の中に答えなんかあるはずもなく、
答えが出ないとわかっているものの、自問自答を辞めることはしない。

いつしかは卑下された自分を相手もそう思っているという妄想に陥る。

こんな姿は見られたくないという、相手からは見てもいない妄想を真実だと思い込む。

自分で作りだした虚像に利己的な真実を見出し、それを相手に持ち込む。

もはや疑いのある相手を素直に見れるはずもなく、
自分で判断したことをあたかも相手がそう考えているんだという前提で話す。

否定されるも決断は変わらないのだから。
自分に洗脳された考えは揺らぐことはなく。

失って初めて俯瞰的な現実に目を向ける。
もう戻ることは無い過去を振り返っては、
もう変わることの無い過去を後悔する。

次なんてあるはずもないのに、
勝手な予想を立て、勝手に答えを導く。

相手に迷惑をかけていたのにも関わらず、
されど人肌恋しいという欲望には従順で。

嫌われないように言葉を選んでしまう。
今度は上手くいくように。

相手と上手く関係を築けるようにと。

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