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向日葵の挨拶

我が家にヒマワリがやってきた。
3本。いや、3名。

近頃家に居る時間が増えたことがきっかけで、家の中に何か命あるものを迎え入れたいという欲望が湧いた。…というのがヒマワリズがやってきた理由だ。

植物との生活は、とても良い。 
彩りのある家に居ると俄然テンションが上がる。

それだけではない。

植物ってやっぱり生きているからか、なんだか人と一緒に暮らしているような感覚になる。

生命力が凄いのだ。

これまで舞台出演やらなんやらでお花をいただく機会がよくあったが、そんな日々も少し遠い記憶と化してしまい、、。戴いたお花もドライフラワーとなっていた。思えば生花を家に置いたのは随分と久方ぶりのこと。
彩りのある生き生きとした空間に、私は想像以上のテン上げ状態に。
ここ数日、ヒマワリズのお陰で毎日の始まりと終わりがかけがえのないものとなっている。

というのも、
私はヒマワリズに挨拶をしているのだ。

言っておくが決して狂ってなどいない。 
お花と会話ができるファンタジーガールなわけでもない。
が、ヒマワリズがやってきたその日から、無意識に毎日欠かさず挨拶をしているのは紛れも無い事実である。

そんな自分を客観的にみながら、命には素晴らしいパワーがあるんだなあと思った。

我が家に迎え入れたヒマワリズは、
柔らかな笑顔でフワッと癒しをくれる東北八重ねえさま、パッと溌剌としたエネルギーに満ちたビンセントクリアオレンジ少女、小ぶりなビジュアルで黄色いハッピーオーラを輝かせてるサンリッチレモンちゃま。と、それぞれ違うキャラクターで実に個性豊かだ。

何故かは分からないが、三姉妹設定。

見つめているとなんとなく、そんな感じがする。

そう。我が家のヒマワリズは、
向日葵三姉妹。

なんとも愛らしい。

三姉妹との毎日は挨拶にはじまり挨拶で終わる。

私は毎朝、三姉妹に「おはよう」と言う。
私は毎晩、三姉妹に「おやすみ」と言う。

三姉妹の笑顔につられて私は笑顔になる。
相当なベタ惚れ具合である。

三姉妹は
私よりも随分後に生まれ、
恐らく私よりも先に還る。 

儚く尊い命と共に生きる2020年夏が始まったのだ。

というわけで今年は三姉妹を迎え入れてこれまでに無いほど夏らしい夏を過ごしはじめている。夏を。
と思ったのだが、どうやら暦の上ではもう既に秋になっているらしい。

秋は私が最も好きな季節。
それだから去年までの夏は、どこか少し秋が待ち遠しかった。 
夏が半分ほど過ぎたところで
私はまるで7日間生き抜いたセミのように、抜け殻だけを夏に置き去りにして魂は行方不明状態になっていた気がする。
たぶん秋へ飛んで行っていたのだと思う。 

大好きな秋めがけてるんるんスキップしていたから、少々時間の密度が薄くなってしまっていたかもしれない。と、そう感じた今、私は
今年はもっと目一杯夏を生きたい、なんて思っている。

ある日三姉妹に挨拶をしていると、
時間の密度が色濃くなると同時にふわっと昔の記憶が蘇った。

あれはきっと初めてのピアノの発表会。
当時先生と共に選んだ曲は、
ディズニーアニメ『不思議の国のアリス』より
ゴールデンアフタヌーンという曲だった。

その曲は付点のついた音符がメロディとなるルンルンと愉しい曲で。
アニメの中でこの曲を歌っているのは何を隠そう沢山のお花たちなのである。
言葉を話し、更には歌までうたうお花たちがあの世界には沢山いた。

そんなイマジネーションの世界を見つめ、
もしもこのファンタジーな世界への入り口がすぐそこにあったら…と、何度夢見心地になったことか。

大人になった今でもあの世界への好奇心や憧れがまだある私は、もしかすると無意識のうちに三姉妹との生活にイマジネーションフィルターをかけてしまっているのかもしれない。

なにはともあれ
三姉妹に挨拶する日々はキラッと輝いている気がする。
それが無意識にかかったフィルターのせいであってもこの際なんだって良いではないか。 

向日葵三姉妹のおかげで一日一日の発色が良くなったのだから。

だから私には花に挨拶するという突然はじまったこの習慣をやめるなんていう選択肢はないのだ。

もしも三姉妹も私に挨拶してくれているとしたら
一体どんな声をしていて、
一体どんな口調で挨拶しているのだろうか。

向日葵の挨拶はどんなだろう。
そっと耳を塞いで心を開く。
するとなにかが心に広がる。
そのなにかが
向日葵の挨拶なのだろう、きっと。

こんなことを思いながら
現実の世界と空想の世界をふわふわと行ったり来たりしているうちに今年の夏は終わってしまう気がしてならない。


❤︎最後まで読んで下さりありがとうございます。




 





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