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不妊クリニックはいつも混んでいた(妊娠前)

「うん、さっき見た感じだと、排卵日は明日か明後日ですよ。なので、そろそろタイミングをとってください。そうだな、今日の夜がいいかもな」

不妊に強いと謳われているクリニックで医者は淡々とわたしにそう言って、直後に看護師に呼ばれた。

「先ほど先生からお話があったように、今晩タイミングをとっていただいた後、明日の朝に来てもらえたら、”フーナー検査”をすることができます。精子がちゃんと子宮に入っているか、運動しているか?の検査です。性交後6〜12時間後の検査なので時間帯だけは気をつけていただいて…。検査をご希望の場合は、受付でおっしゃってくださいね」

他人事だったときはなんとも思わなかった「タイミング法」。安全日、危険日なるふんわりとした認識しか持たなかった20代前半であったが、実際に妊娠できるのは排卵日のみ。そしてこの排卵日なるものが肝で、どれだけ生理周期が整っている人でも、検査薬を使用したり医者に診てもらわない限り、なかなか正確に把握できないものなのだ。排卵日をしっかり予測し、その時期にしっかり性交をする。子供が欲しい夫婦がまず試してみるのがこのタイミング法だ。

それなのにクリニックを出て少し経って、
わたしはほとんど泣きそうになっていた。
頭の中にぐるぐると考えが巡る。

ーーそっか、わたし、もう好きな人と、好きなときに、誰にも知らせず密やかにセックスするような甘やかな時期を過ぎたんだ。医者に言われて、好きな人に告げて、逃さずに行為をして、医者にまた診せにいく。そういうものなんだ。


妊活とは、そういうことだ。
それなのに、なんだ、この憂鬱は。
なんだ、この気持ち悪さは。
なんだ、この居心地の悪さは。

排卵しているのは妊娠できる可能性があるということで(自力で排卵しない人もいる)、そのタイミングを知ることができるのは有難いことなのに。なのに。なのに。足の先から喉の奥までぎちぎちに詰まった言葉にできない複雑な思いは行き場をなくす。目の前を通る若いカップルを見てほんのわずかに羨ましく思った。

「セックスレスだったから、作業のように行為をしたよ」と笑う友人や、「毎月排卵検査薬を使って、夫と頑張っている」と言っていた友人もいる。かつては「そんなものか」と思って聞き流していたが、どうやら、わたしにとっては全然"そんなもの"ではなかったらしい。「今日なのでよろしく」と言うのは嫌で、けれど言わずに逃してしまうことはもっと嫌で、でもどう告げれば甘やかさを保てるのかと考えれば考えるほど、なぜわたしは1人でこんなことを悩んでいるのか、とまた憂鬱になる。

もちろん、医者に指導されるよりも前から、アプリや基礎体温に従って何度かタイミングを測ろうとしたことももちろんあったから、意外な話でもなんでもない。それでも、他人である医者からそれを伝えられたその瞬間。看護師が「性交の時間帯に気をつけて」と言ってきたその瞬間。セックスが、かつてのセックスではなくなったと思った。一年ですっかり変わった行為の意味。それにわたしは全然ついていけなかった。

こんなこと、妊活している人は当たり前に乗り越えているのだろうか。不妊治療をしている友人に言えば「なにを甘っちょろいことを」と怒られるだろうか。

夫に電話をして、涙ながらに話した。
なにを落ち込んでいるのかわからないけど、なんか落ち込んで、とかなんとか言ったと思う。

夫はいつものように優しくて動じなくて「ぜんぜん気にしないけど、さえりが嫌ならもうクリニックなんて行かなくてもいいんだよ」と言った。でも、それでもクリニックには通った。子どもが欲しいと願っていたから。自然にできないなら、医療の力を借りるしかないから。

不妊クリニックはいつも混んでいた。妊娠すると別の病院に転院する必要があるため、このクリニックに来ているのは、単純に婦人科の検診または不妊に悩む人のみ。いつ行っても予約もいっぱいで、待合室も混んでいた。

結局、何度かタイミングを教えてもらい、何度か落ち込んで、何度かダメだった。

AMHという妊娠できる卵子の在庫を測る検査もすることにして、その他の検査に進む手順も説明されて、今後はもっと心を強く持たなくてはいけないのか、それともそれが負担ならやめてしまえばいいのかと悩んでいたが、AMHの数値が低いと知らされたその日に妊娠も発覚したのだった。

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クリニックに通った期間は、たったの1年半。しかも不妊のために通い始めたわけではなく、単純に婦人科にかかるつもりで足を踏み入れたのが「不妊に強いクリニック」だった。

もともと子宮内膜症があったり、多嚢胞性卵巣の疑いがあったり(わたしの場合、他のクリニックでは多嚢胞性卵巣だと言われていたのに詳細なホルモン検査の結果、多嚢胞性卵巣ではないと言うことがわかった)、排卵痛が酷かったり、生理が重かったり、ピルを飲んでいたりと中学生の頃から山ほど婦人科に通ってきたが、たまたま不妊クリニックに行き始めたことで詳細に検査ができるようになり、その検査結果を元にいつのまにかぬるぬると不妊検査がはじまった。

結果的に治療に進む前に妊娠したので不妊とは言わず、妊活程度のこと。

それでも毎月生理が来るたびに落ち込んだ。ピルが飲めないことで、気持ちの落ち込みと同時にやってくる重い生理は堪えたし、夫のように「いつかは赤ちゃんがやってくると思おうね」と朗らかな気持ちではいられなかった。そりゃ、わたしだって朗らかにやわらかく焦ったりせずに待ち望みたい。必死になったりしたくない。血眼で夜な夜な「妊娠超初期症状」を検索したくないし、ルナルナで排卵日あたりを凝視しながらセックスのタイミングなんかをはかりたくない。

でも、本当に妊娠するのか?治療にはいつ進むのか?そもそもこの生理といつまで付き合うのか?と悩みは尽きなかった。

「自然に子どもができると思ったけど、できない」
「毎月の生理に落ち込んでしまう」
「夫との温度差に悩む」
「排卵日がわかっても夫が協力してくれない」


…いわゆる”不妊治療”と聞いてイメージする”体外受精”や”莫大な費用がかかる辛い治療”のその手前でもさまざまな悩みが不妊クリニックには渦巻いていた。

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「うちで出来る検査の説明をしますね」

頼んでもいないのにはじまった検査説明をきいて、驚愕した。

生理がはじまってから、次の生理がはじまるまでの1周期に受けられる検査が何種類もあって、しかも生理から○日後の17〜18時にだけ受けられる検査だったり、排卵後1日以内にだけ受けられる検査だったりと、期間や時間が決まっているものが多かったのだ。

実際に
「排卵は明日なので、明後日に病院に来てください」
「生理が来るでしょうから、来たら1日目か2日目に来てください」と指定されることも多かった。

これまでは「妊活のために休職します」と聞いても「ゆったりと身体を休める必要があるのかしら」程度にしか思いが至らなかったが、実際には物理的に休職しなければならなかった人もいたとはじめて知った(厚生労働省が行った調査によると、不妊治療をしたことがある人の中で離職をしたひとは約35%に及ぶらしい)。

身内、職場、友人の理解や協力なくして、治療は続けられない。それなのに、デリケートな問題だからなかなか声を大にはできない。

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「まじではやく子どもつくってくださいよぉ!本当にいいですよ」

以前、クライアントと仕事の打ち上げに行ったときのことである。酔っ払った男性が、同期である男性にそう告げた。「なかなかね〜うまくいかなくてね」。言われた男性は素直にそう話したが、それでも相手は「まじで!ほんとに、はやくしてください!子ども同士遊ばせましょうよぉ!!」と笑って肩を叩いていた。

「なんで子どもつくらないんですか?」と若い女の子が素朴な顔をして、40代の女性に聞いた。女性は「欲しかったんだけどね」と言って、若い女の子は「うちのお母さん44歳で妊娠してるからまだいけますよ!」と言って励ましていた。

タクシーに乗っていた時に「結婚しているの?子供は?」と聞かれて「いません。欲しいんですけど、なかなか」と答えたら、「働いてばっかりじゃダメダメ。願ってるだけじゃ来ないからね、うちはね4人いるんだよ。ほら、がんばれ!がんばれ!」と告げられた。カチカチなるウィンカーがやけに長く耳に残った。

祖母は電話のたびに「あんた、オメデタはまだかね?」と聞いてきた。

世の中さ、自分の力でどうにかなることばかりじゃないんだよ。毎月落ち込んだり、セックスの意味が変わってメソメソしたり、検査をしても原因がわからなくて途方に暮れたり、痛くて高額な治療をしてもなかなか報われなかったり、子供を諦めたり、それぞれにしかわからない痛みがあるんだよ。あたりまえに子供が出来るわけじゃないんだよ。努力でどうにかなるものじゃないよ。願えば叶うことばかりじゃないよ。

痛みは当人にしかわからない。人の想像は浅く、同じ立場にいても理解し合えないことがある。


でも、

不妊クリニックはいつも混んでいた。


そのことの意味は、もっと早くから知っておけばよかったと思った。



当時のメモをもとに公開しています(現在は妊娠6ヶ月です)。

不妊や妊活のことはとてもセンシティブな話題なので、妊娠前の渦中にいるときに書きたかったのですが、当事者が声を上げるのはやっぱり思った以上に勇気がいることでした。発信した翌月に妊娠したら…安定期まで言えないなら裏切りのようにならないか…?それにこんな痛みは不妊治療をしている人と比べたら大したことないと一蹴されないか…?

悩みは尽きず、結局、今になって発信することになりました。書かずに終えてしまおうか、とも思ったのですが、思いのほかわたしに届くメッセージの中でわたしと同じかその手前にいる人たちが多いことを知り、書くことにしました。わたしが体験した範囲のことしかかけませんが、どうか想像してみる第一歩になりますよう。

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