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相手に時間をもらうということは、その人の命の時間をもらうということ

こんにちは。ワカルク代表の石川です。

本当に忘れもしない思い出なのですが、私は社会人2、3年目の頃、「時間」についてめちゃくちゃお客様に怒られた経験があります。


1回目は、2年目になりたてすぐの頃。ある大手のお客様を先輩から引き継ぐことになり、今まで売ったこともない大きな枠の求人広告の打ち合わせをすることになりました。

お客様の方が経験が長く、当然過去にも同じような求人広告を出されているので、色々リクエストを聞いてくればいい、ぐらいに思って、完全に手ぶらで打ち合わせに臨んでしまったのですが、毎回特集の切り口は違うので、お客様は私からの説明と提案を待っていました。

そもそもどんな特集の広告なのか、どんな掲載基準があるのか、など基本的なルールも全く知らないどころか、どんな企画にするかなど、私の仮説や提案も一切なし。

何も打合せらしいことができずに1時間がたった商談最後、

「この1時間って何だったんですか?」

お客様から言われた一言に私は凍り付きました。
謝っても謝り切れない、本当に私は何をしに行ったんだと、会社に帰って泣いたことを覚えています。

2回目は、あるITコンサル会社さんでの取材の場。現場のエンジニアの方に転職のエピソードを取材させていただいたのですが、私がIT業界やエンジニアという職種に対する事前勉強をしていかなかったため、初歩的な質問を根掘り葉掘り聞いてしまい、1時間の約束を大きく超えて1時間半経った時、業を煮やした人事の方から、

「もう終わりにしてください。」

と取材を打ち切りにされてしまいました。

エンジニアという職種は時間単価で働いているということさえ知らなかった私は、そのお客様の会社の経営陣含め、現場エースの方何人もの貴重な時間を、平気で無駄にしてしまっていたのでした。

その日の夜にいただいたお客様からの長文メール。私の取材姿勢へのお叱り、当然再取材はなし、という大変厳しい内容でした。


2回とも、
・自分視点でしか仕事ができていなかったこと
・「まだ私は若手だからお客様も教えてくれるはずだ」という甘えから起きたこと
ですが、お客様は当然私のことをプロとして見ていて、それに値する価値を発揮できていないのだということに本当に恥ずかしさと悔しさを感じました。

この2件があってから、私は必ず打合せの目的とゴールを設定して、そのための事前準備をこれでもかというほどするようになりました。

1時間の打ち合わせ後に、お客様に何か気付きを得てもらえたか?話せてよかったと思ってもらえたか?それは今でも、どんな相手とでも意識して臨むようにしています。


ちょうど人生も折り返しにさしかかり、最近特に思うのは、相手に時間をもらうということは、その人の命の時間をもらうということではないか、という感覚。

ワカルクは、「お客様の創造的な時間・仕事を創り出すこと」を目指して、オンラインでのオフィスワーク業務の代行をしていますが、私が「時間の創出」と言っているのは、

「お客様自身の命の時間を、より創造的なこと、より多くの人の役に立つことに使ってほしい」

という願いを込めているのかもしれない、とこの記事を書きながら感じました。

若い頃、お客様に教えていただいた大切なこと、今は願いを込めて、次のお客様に繋げて広げていきたいなと思っています。

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