転職6回したデザイナーが 転職を始めようと考えだした時に読む備忘録 #5社目

私はグラフィックデザイナーを生業にして20年近く経つ。
同じ職種ではあるが様々な会社がある。
1社目はマス媒体メインのデザイン事務所。
2社目は安定の化粧品メーカー インハウスデザイナー
3社目 直クラメインのデザイン事務所。

4社目 外資系代理店

少しの間のフリーランス生活を経て見つけた会社は…

●5社目 アパレル系代理店

フリーランスもやってみたものの性格的に向いてない事を早々に悟り、やっぱり私は撮影とかが好きだ!と気づいた。

よしファッションのグラフィックデザインやってるとこを探そうと思い幾つか面接したが、外資に一瞬血迷った事で年収が高めに。
まさかの誤算だった。

経験値が無いに等しいアパレル系を幾つか受けるが敗北が続いた中、受かった会社は…
幾つかのアパレルメーカーのカタログなどを制作する代理店だった。
代理店と言っても人数は15人くらい。
デザイナーは4人。
入ってすぐ撮影ラッシュ!この一年撮影現場に飢えていたのでワクワク!
しかも化粧品の仕事などが多かったのでモデル撮影にたくさん立ち会えて楽しかった。
そう始めは…
アパレルメーカーのカタログを幾つか制作しているということは全て制作する時期が同じという事。
毎日のように展示会、その後ラフ提案、ロケハン、スタジオkeep、オーディション、予算計算などなど有り撮影。
セレクトの後、レタッチ指示×3回くらい。そしてようやく入稿して再校して終わり。その合間にデザインもして、それが同時に15ブランドくらい。
ブランド別に担当がいれば良いが4人。
そのうち3人になり、ADと2人になった時もあった…
現実的に死ぬかも。
しかもADは昼くらいに来て朝まで会社にいるタイプだった為、終電か早くても22時くらいに帰宅。
撮影前はスタジオとモデルのブッカー、カメラマンのマネージャーに連絡祭り…
予算もアパレルだとやはり少なくてロケバスが出せない時も有り電車で神奈川の端っこまで行く。
自然光だと撮影は準備からだと8時集合とかもザラに有る。
ロケバスが来ても朝の6時に渋谷。
撮影終わって帰ってきたら前の日に撮った写真のセレクトに戻しに追いかけられていた。


お陰でスタジオにもカメラマンにも顔馴染みが多くなり撮影現場で自分が仕切る場合も増えたり内容は充実していた。
今思えばまさにワーカホリック!
家に帰っても仕事してたこともあった。



そんな時、父が倒れたと連絡があった。


その頃は長く居たデザイナーも辞め新しく入社する子が来たばかり。
ほぼ新幹線通勤ばりになった。


父親も仕事人間だった。定年するその時に倒れた。どうやら調子が悪いと思っていたらしいが隠していたらしい。
気づいた頃にはすでに手遅れでそこから半年で逝ってしまった。


私は父親の葬式の次の日にブラックフォーマルのブランドのオーディションでまた東京に行った。


このままで良いんだったっけ…?
ふとそんな思いがよぎった。


仕事は頑張れば評価される。
健康は?
病気は?
こんなに望んでいるのに手に入らない事ってあるんだと絶望感に苛まれた。
定年してコレからって時に死ぬなんて。
仕事って何だろう?
何のために全てを犠牲にして働いているのか。

そしてとにかく眠たい。





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