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金的狙いの少女

もう時効でしょうからお話しますが、私は幼少の頃、銭湯の男湯で男性の金的を狙う遊びをしておりました。

名づけて「おちんちんアタック」です。

今では考えられない話ですが、昭和40年代の東京下町の銭湯というのはとにかく自由でおおらかで、小学校にあがる前の児童は男女とも男湯女湯フリーパス。だから当然、私や妹も幼少の頃は父に連れられ男湯に入っていました。

おそらく私はそこで湯船につかる成人男性の股間を見て、そこに自分にはないものを発見し、かつ、かれらにとってそれが「なにやらアンタッチャブルなもの」だという事実を知ったのだと思います。

禁じられればつい触れてみたくなるというのが人の性というもの。
その頃から好奇心旺盛だった私は幼心に決めました。

「よし、あれを狙おう」と。

もちろん、幼稚園児のことですから、エロの要素など皆無です。もともとお人形さん遊びよりも昆虫採取や魚とりに興じるような子供でしたから、その新しい遊びも私にとっては「狩猟採集」の範疇に過ぎなかったのだと思います。

かわいそうなのは二つ下の妹です。
何も知らない無垢な彼女は姉の命令になんの疑問も抱かず、ほぼ強制的にその遊びに参加させられることになりました。
(その経験が彼女のその後の人生にどんな影を落としたかは知る由もありませんが、それを思うとああ私は上に生まれて良かったと思うのです)

さてその「おちんちんアタック」、ルールはいたって簡単でした。
まず私と妹がツーマンセルで左右から浴場に侵入し、ターゲットに狙いを定め、「おちんちんアタック!」と叫びながら急襲をかけるのです。ターゲットの金的にタッチできれば我々の勝ち、ターゲットに逃げ切られれば負け、というわけです。

そしてターゲットの選別も潮干狩りやイチゴ狩りと一緒で、狙うは大物のみ、ちいさいものはいかに触りやすい場所にあっても手をつけずにリリース、というのが我々のルールでした。

当時、葛飾柴又の男湯には背中に刺青を背負った極道の方がたくさんいたのですが、面白かったのはそういう人ほど我々のターゲットにされると悲鳴をあげて逃げ回ることでした。
切った張ったが商売の任侠の方々も、組の掟に幼女に風呂場で金的を襲撃された時のマニュアルはなかったようです。

そして不思議なことにその遊び、なぜか父に止められた記憶がありませんでした。他の客に咎められた覚えもなく、恐ろしいことに我々がそれをやることは生温かい目で黙認されていたようでした。
おそらく子供のやることというのもあったでしょうが、その頃から人を見てなにかをするという小賢しさを持った私は、無意識に訴えることのできない人ばかりを選んで襲っていたのかもしれません。 もうこうなるとほとんど通り魔です。書いていて自分でイヤになります。

ところがその「禁じられた遊び」、唐突に終止符を打つ日がやって来ました。
その日のターゲットは「さかなクン」に似た痩せっぽちの青年でした。色白で肺に手術のあとがあり、そのくせ金的だけは驚くほど立派なものを持っていました。

私と妹はいつものように「おちんちんアタック!」と叫びながら「さかなクン」を左右から包囲しました。
ところがその「さかなクン」、まったく逃げる様子がありません。むしろ脚を大きく開き、私たちに向かってどうぞお好きに、と言わんばかりの慈愛に満ちた目でニッコリと笑ったのでした。

負けた、とその時思いました。

この遊びは大の大人が慌てふためき逃げまどうから面白いのであって、それをあっさり許可されたのではなんの意味もありません。
私はすっかり気をそがれ、以降はその「禁じられた遊び」をすることは二度となくなったのでした。

ところがこれには後日談がありまして、この遊び、父から顛末を聞いた母がなんとラジオ番組に投書してしまい、それは採用されて面白おかしく脚色されてラジオドラマとなり、挙句全国に実名入りでオンエアされて私は親戚中の笑い物となったのでした。

謝礼としてラジオ局から送られてきたのは一年分の洗剤でした。
きっとそのせいでしょう、私は今でも洗剤を見るたびにイヤーな気分になるのです。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #銭湯

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