アルミと真珠
一緒に暮らしていた昔の彼が、部屋に残していった大量の空き缶。
出て行った彼はモノを捨てられない人で、捨てられたくない人でした。
物が多く雑多な部屋から減ったのは彼のみで、大量のよく分からないものと私は置き去りで、息の白い12月の年末を迎えようとしていたのです。
私はこのまま置き去りにされるのが嫌で、部屋のモノを全て捨ててやろうと、彼の気配の残るすべてを捨ててやろうと、沢山のこべりついた想い出をゴミ袋に入れました。年末はごみを捨てるにもいつもより大変で、キーキーと泣く自転車に跨り、辛うじて両手に大量のアルミ缶の入った大きな袋を持って川辺を我武者羅に走っておりました。
ふと、なんだか虚しくなってきて、部屋が奇麗になる程に、彼の気配が消えるとともに、前が滲んでくるのです。ああ、零れると思った瞬刻、私の体と自転車は傾き、川へ落ちて行きました。
さぞ冷たいだろうと身構えた刹那、予想だにしない力が横から私を引っ張りあげたのです。
「大丈夫ですか?」
「…あ、ありがとうございました」
「やあ、びっくりしましたよ。綺麗に川に吸い込まれてったから」
「…お手数お掛けしました。あ、手が」
「あ、どっかぶつかっちゃいましたかね。でもお姉さんの膝も」
「あ。」
「僕、ハンカチ持ってますよ」
どうぞと渡されたハンカチはよく見るストライプの清潔なもので、怖い位にアイロンをかけられておりました。
ほろりと、溢れ損ねた泪が垂れて行き、私はいつまでもタイミングの悪い女だと自責の念で顔をひしゃげると、彼は何も言わずにもう一枚ハンカチを取り出して言いました。
「僕、ハンカチは二枚持ち歩く主義なんです。」
思わずふふっと吹き出しそうな私は何故か目の蛇口が壊れてしまったようで、たらたらと雫を漏らし続けたのでした。
夕焼の見える河原の土手で、彼は私の隣に居てくれました。
私はただただ愚図りつづけるだけで、出て行った彼への想いも、自分の思いも言葉にしてあげることが出来ずにいたのですが、それでも彼は何もいわずにそばに居てくれたのです。
すっかり身体が冷えて、冬将軍に家に帰れと則される中、彼にお礼を言わなければと立ち上がりました。
「見も知らぬ方にここまでお世話になってしまって…なんと御礼を言ったらいいのか」
「いえいえ。僕も暇でしたので」
「なにか御礼をさせてください」
いやいや、いえいえ、を二、三度繰り返した後、彼は申し訳なさそうに話し始めました。
「その…それをくださいませんか?」
彼の指差す先は、先程私が心中しそうになっていた記憶が油汚れのようにこべりついたアルミ缶達。
何故気付かなかったのでしょうか。ハンカチを二枚持つ彼の腰には空き缶が大量にぶら下り、まるでウエディングを終えた新郎新婦が乗って行くであろう白いオープンカーのようでした。
さめざめと私が泣いているなか、カランコロンとなっていたのは運命の鐘の音ではなく、彼の目出度いこし飾りでありました。
ア然としている私を彼が不安そうに見ておりまして、ああ、いけないと、恐る恐る半透明の袋に一杯のそれを渡したのです。
「ああ、あ、ありがとう、ございます。」
花が咲く笑顔というものは存在したのだと、私は驚きました。
中毒者のような少し狂気じみた笑顔ではありましたが、彼が喜ぶ、それだけで私は空っぽの胸の内が埋まって行くようでありました。
「あ、あの、まだ家にたくさんありまして、良ければ…」
それ以来、私の部屋から空き缶が絶えることはありません。
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