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ピアカウンセリングと出会う

3人目の子どもを産んだ助産所のzoom会議で、2人目の3歳児の次男の暴力的な怪獣っぷりを相談した。怒らずに、「やめて」と言い続けてもエスカレートした次男に、「泣く」というリアクションをしてみた私。まだ0歳児の長女は、私の髪の毛を押さえ込み、そこへ次男が私に馬乗り。光景は、完全なるリンチ状態。
泣けた。
助産師さんは、私が暴力で私を押さえつけて育てた父のヤクザみたいな性格が、私経由で遺伝したのではないか、と言う心配は、はっきりと「それは無いから大丈夫」と。やり返してはいけないけど、なめられてるから、はがいじめにして、押さえつけて、こっちが上だ、と言うことを示さないとダメだよ。と言われた。「今週はそうしてみます」と答えた。

zoom会議後、Mさんからメッセージがきた。たぶん私はMさんと面識は無い。会っていたとしても、助産所で行われている産婦さんたちの大人数の集いの中で、くらいでだろう。

こんにちはー
Mです

さっきのzoomで、お父さんの暴力のことお話されていたのが気になって、
ちょっと個人的にLINEしちゃいました。
すみません。

実は私も同じような境遇で、
自分が怒りをコントロールしにくいこととの関連を考え続けています。
遺伝子的なものなのか、
幼少期の経験や傷つきからくるものなのか、
両方のハイブリッドなのかな〜とか。

ピアカウンセリングというのか、
誰かと話してみたいなとずっと思ってたりしたので、
突然のLINEになってしまってすみません〜

ほう。ぴあ?ピアカウンセリング。
聞いたことないけど、このメッセージが、私はすごく嬉しかった。
たぶん、Mがこんな風に、メッセージをくれなかったら、助産師さんに言われた通りにしていた。だけど、実は、心の中で、疑問というのか、不安というのか、「押さえつける」「上下関係をわからせる」というのが、本当に正解なのか。そもそも何を正解とするのか?何に対しての正解?
今の人類の姿って、正解なの?正解じゃないとしても、その中でうまいことやっていかなきゃどうにもならない世界なのだろうが。

たぶん私は、7x7は49です。って言われても、そもそも数字って何なんだろう。ってところから考えないと、49がインプットされないという、簡単にいうと、とても生きにくい人種なんだろう。

お返事うれしいですー

お!私もいま3?歳ですよ(今年の誕生日が来たら3?歳)
子どもは?月に2歳になる息子が一人ですが、二人目出産希望です〜

ピアは「仲間」という意味で、カウンセラーが介入せずに平等な立場の人間で話をする手法なのですー
(私は長らく障がい者とアートとデザインの仕事をしていましたー福祉用語なのかなー)

Yさん?Iさん?(どちらでお呼びしたらいいのかな、Sさん?)も絵を描いてはるのでしたっけ?

私たちは、お互いを旧姓の苗字呼捨てで呼び合うことにした。ほぼ面識もないに等しいのに、相手の関西弁という親しみやすい言葉遣いと、文字上ではあるが、苗字呼捨てでの呼び合いが、妙に親近感どころか、幼なじみ大親友感が半端ない。芸術系のことをしている、年齢が1つ違いという共通点。そして、最大の共通点である、親からの暴力。まだMの記憶を聞いてはいない。まずは、お互いの自己紹介や考えてることなどをメッセージしあっている。それだけでも、私の心の中は、自己肯定感で満たされる。それはMが聞き・返し上手だからなのか?

なんとなくわたしらみたいなのは、
創造的に思考して作り直したり社会的に見つめて繋ぎ直したり
という作業なしじゃうまく生きられへんのじゃないかと思ってて。

作家の二村ヒトシが
「親は子供の心に穴を開けるけど、その穴からは魅力的なものも湧き出してる」
みたいなこと言ってて、なるほどなと思った。

ピアカウンセリングって、音声でするのかなって思ったけど。今のラリーなやりとりは既にピアカウンセリングというものになっているのではないか。まだピアカウンセリングが何かっていうのは、よく知らないけれど、大切なのは、ピアカンなのか否かではない。このMとのやりとりで、「過去の記憶と今に、一線を引くことができ、己の感情を理解し、快く付き合う事ができ、自分なりの子育てを愛することができるようになる」そうなれる関係性であることが、大事な肝なのだろう。

にしても、Mと一生の親友になれる気がしているのは、私だけなのだろうか。人に会わずとも、こんな気持ちになるのは、初めてじゃないかな。

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