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月と姫の転生物語 第3話

1.藤花の藤宮

 最初に向かったのは、藤宮家。

「すげ、なにこの家」

 呆然とする絋介が見上げるのは、藤花の枝が絡み付いた巨大な石壁。
 三メートル近くあるだろうか、壁のほとんどが藤の枝で覆われていた。

「藤宮の本邸だ。名前くらい聞いたこと……ないんだったな、君は」

 呆れたような視線を感じ取ったのか、絋介が頬を膨らませた。

「そりゃ、大貴族の帝は博識かもしれないけどさ」
「俺が博識なのではない、世間の常識だ」
「ていうか帝、なんでこんな大豪邸に?」
「十中八九、彼なら姫の居場所はもちろん、その経緯も把握している」

 蔓を掻き分け、呼び出しのベルを押すとビーっと大きな警告音が鳴った。
 慌てふためく絋介をよそに、俺は正面を見上げる。

「突然申し訳ありません、月詠の帝です」

 石門に向かって声を発すると、大門の脇にある小さな木扉が開いた。

「ご無沙汰しております、帝様」

 現れたのは、痩せこけた初老の男性。

「本日はどのようなご用件で?」

 老人は後ろ手で丁寧に扉を閉めた。
 身体はこちらを向いたまま、目線も変えずに。

「近くまで寄ったものですから。しばし世間話でもしようかと」
「それは坊ちゃまもお喜びになることでしょう。どうぞ中へ、と申し上げたいところですが」

 老人の視線は俺を取り越して、絋介に向いていた。
 想定内だ。
 おそらく月詠でも、同じ処遇を受けるだろう。

「俺の友人です」
「左様でございますか」
「随伴を許可頂きたい」
「私の身では承りかねます」
「そうですね」

 深々と頭を下げる老人。
 俺は笑顔を貼り付けたまま、鞄の中から携帯を取り出した。

「あの、帝……今どういう状況?」

 挙動不審に近い様子の絋介を無視し、通話履歴を探す。
 連絡を取ったのは随分前だが、彼の名前は上から数えたほうが早い位置に見つかった。

「誰に電話してんの?」

 いちいち実況してくれる絋介には構わず携帯を耳に当て、やがて通話が開始された。

『やぁ、久しぶりだね、帝。少し背が伸びたかな?』

 呑気な声が癇に障ったが、冷静を装って石門を見上げる。

「見ているのだろう、万年引きこもり。さっさと通行の許可を出せ」

 厳しめの口調で告げ、石門上部にある超小型監視カメラを睨む。
 藤宮家だけではない、御三家全ての屋敷に同じセキリュティ設備が導入されている。呼び出しベルを押すと、まずは門番のモニターに来客の顔が映し出される。
 一度来訪した者の顔は忘れぬとんでも特技を持つ門番たちは、モニターを見て誰の客人か判断し、該当する主人に一報を入れる。来客の知らせを受け取った者はカメラの映像を視聴することができ、その後の対応を門番のイヤホンに指示する。
 通常はこのように、門番と客人が長く会話することはあり得ない。一報を受けた主人がすぐに門番に連絡し、客人をもてなすよう指示するからだ。
 多忙や不在ですぐにモニターを見ることが出来ないなどの場合もあるが、この男に限ってそれはあり得ない。

「どうせ今もベッドの上で甘味を貪っているのだろう、暇人め」
『案外忙しいものだよ、この生活も』
「なにが君を忙しくさせているのか理解しかねるが、まずは通行を許可してくれ」

 自然と声に力が入ってしまう、この男と会話をする時は。

『あっはは、相変わらず手厳しいなぁ、帝は』

 愉快そうな笑い声の後、ガサガサっとビニールの袋をあさる音が聞こえてきた。

「食うのをやめろ!」

 俺の怒声に、通話の主はスナックを齧りながら『へいへい』と気の抜けた返事をした。

『通してあげてください、帝もその友人とやらも』

 通話口の言葉は門番にも届いたようで、老人は辞儀をして大門の扉を開けた。

「これより先の責任は、帝様自身でお願い致します」
「承知しています。いくぞ、絋介」
「え? あ、はい」

 状況を掴めない絋介が、戸惑いながらも俺の後に続いて門を潜る。
 頭を下げる老人に、同じ様を見せる絋介の姿が少し愉快だった。

 門を抜けて真っ先に目に入ったのは、藤の蔓だった。
 視界を覆い尽くすような、数えきれないほどの藤の木が石畳の道を取り囲むように植えてある。

「おぉ!」

 普段、街中で藤の樹冠を目にすることのない絋介は、感嘆の声を漏らしながら蔓のトンネルを歩く。
 藤園を抜けると今度は芝生の広場にたどり着いた。

「ゴルフ場みたいだな」

 絋介の言葉に、一笑してしまった。

「君はゴルフというものをやったことがあるのか?」
「いや、テレビで見ただけだけど」

 きょろきょろと首を忙しく動かせながら、絋介が俺の後に続く。
 絋介の言葉は正だ。
 ところどころ小丘になっている芝生の庭、池もあれば木樹も生えている。遠目にポツンと東屋が見える。
 ヴォンと環境に悪そうな排気ガスの音が徐々に近づき、前籠に大荷物を乗せた原付バイクが東屋で停まった。

「やぁ、久方ぶりだね」

 バイクから降りた細身の男が片手を振り上げたので、俺も同じく手を上げる。

「久しいな、藤宮。相変わらずだな、君は」

 バイクの前籠に積まれている菓子袋を見ながら言うと、藤宮は「帝も相変わらずだねぇ」とへらへら笑った。

「ご友人の好みが分からぬ故、様々な種類のものを持ってきた」

 菓子袋の中にはチョコレートにスナック菓子、ナッツにクッキー、飴玉など様々な甘味が入っていた。
 藤宮はそれを一つずつ丁寧に、東屋のテーブルに並べる。

「悪いが、長居するつもりは無い」

 俺の言葉に、藤宮は「そうかぁ」とさして興味なさそうに呟き、棒状のスナック菓子を齧った。

「久々の再開なのになぁ」
「君が引きこもっているからだろう。屋敷の外で活動すれば、出会う確率も高くなる。それと甘味ばかりを貪るな。食生活の偏りは身体を壊すぞ」
「あっはは。優しいなぁ、帝は」
「端的に言おう、太るぞ」
「大丈夫だよ、線が細いのは藤宮の家系なんだ。僕としてはもう少し贅肉がついてもいいんだけどねぇ」

 細いとは言うよりは筋張ってガリガリの指で菓子袋を開けながら、藤宮は顔を上げる。

「ところで、そちらのご友人さんは?」

 藤宮の視線を受け、絋介が慌てて辞儀をする。御三家などの身分制度を知らなくとも、藤宮が位の高い貴族だということは直感できるのであろう。
 腰が九十度近く曲がっている様(さま)が実に愉快である。

「は、初めまして、讃岐絋介と申します」
「絋介くんね、はいはい。よろしく」

 片手をひらひらと振る藤宮が、反対の手でチョコレートの包紙を開ける。

「同じ制服だね、帝とは同じ高校?」
「はいっ! クラスメイトで、一年の頃から仲良くさせてもらってます」
「へぇ……まぁ、知ってるけど」
「知ってる?」

 まぁ、そうだろうとは思っていた。彼は【情報屋】だ、この国きっての。
 二人きりで交わした約束ならまだしも、五人以上いる場所でなされた出来事はほぼ全て、彼の耳に入っていると思ったほうがいい。

「帝が友人を伴うなんて初めてだなぁ。そもそも友人と呼べる存在が有ったとは」
「引きこもりの君と違い、俺は高校に通っているのでな」
「嫌だなぁ、そうやってマウントとるのやめてくれないかなぁ。そもそも僕は高校に通う歳でもないし。それで、ご用件は?」
「今朝、この絋介の妹君である夜武羽姫という少女が何者かに連れ去られた」

 藤宮は手元の菓子を見つめたまま、「へぇ」と気の抜けた返事をする。

「それは物騒だねぇ」
「教師に詰め寄ったが、情報開示を拒まれた。御三家の力が働いている」
「なるほど。帝の圧が効かなかったか」
「月詠にそのような話、目立った動きはない。藤宮のほうはどうだ?」
「美少女誘拐計画などは聞かないなぁ。新しい下女を迎え入れる話もない」
「……俺はその少女に美しいという修飾語をつけた覚えはないが、君はなぜ今、美少女と言った?」

 俺の言葉に、藤宮の手がぴたっと止まった。
 ちらりと俺を見上げ、ホワイトチョコレートの包み紙を指で破く。

「嫌だなぁ、帝と話すの久々だから、失言しちゃった」
「わざとであろう?」
「……わかってても言わないのが礼儀だよ、帝」
「では心の中で感謝しておこう。して、やはり東城だな?」

 藤宮は菓子を食う手を止め、俺と絋介に向けて微笑む。

「絋介くんの妹君と、帝の関係は?」
「……級友だ」
「それ以外の接点は?」
「数少ない友人の妹」
「へぇ……」

 藤宮の右手が、チョコレートを口に運ぶ作業を再開する。会話に興味を失ったという意思表示だ。
 仕方なく、本心を曝け出す。

「彼女とは文の遣り取りをしていた」
「文?」
「短歌を送り合っていた。明年には桜を共に桜を見よう、とも約束した」
「……へぇ、なるほど」
「言わずとも知っているだろう」
「そりゃあね、多勢の校内で堂々と逢瀬していたら、嫌でも情報が耳に入るよね」

 パキンっとチョコを折り、藤宮はそれをゆっくりと咀嚼した。
 全てが喉を通りすぎたところで、再び微笑む。

「東城の主人に隠し子がいたらしい」
「隠し子?」
「本家に似た容貌の女がいると噂を耳にした時泰(ときやす)殿が独自に調査したところ、下女が白状したらしい。竹藪の中に主人との間に生まれた赤子を捨て置いたと。即座に認知しておけば問題にならなかったものを、よりによって捨てるとはねぇ」

 嘆息する藤宮だが、俺の関心は別のところにあった。
 絋介を一瞥すると、彼も同じことを考えていたようで深く頷いた。

「認知しておけば問題なかったなんて、さすが貴族……」
「違う、そうじゃない! 君がいま関心を持つべきはそこではなくて! 赤子を捨てた場所が竹藪の中だということだ!」
「え? ……あ、そっか。叔父夫婦が羽姫を拾った場所は竹藪の中……」
「然(しか)り。姫がその、東城の隠し子だ」
「じゃあ、羽姫は今……」
「東城の屋敷にいるとみて間違いないねぇ。心配することはないよ、絋介くん。いずれ東城の人間が謝礼を持って君の家を訪ねるだろうから」
「謝礼? 挨拶?」
「君の妹君を育て上げた事に対する謝礼と、別れの挨拶だね」
「別れ……?」

 要領を得ない絋介に、藤宮は面倒そうにため息を吐いた。
 俺に目配せをしてくるので仕方なく、説明をする。

「東城家は閉鎖的な一族でな、血筋に重きを置き、衣食住全てのことを親族で完結させる。血族婚は当然、教育の場もやつらの領分で行われる。女性に対して特に厳格で、本家筋の娘なんて、それこそ外の世界には触れさせもしないだろう」
「え? えぇっと、つまり……」
「簡素にまとめると、姫はその東城の本家筋の娘だった。今後生涯、東城の屋敷に軟禁されるだろう」
「いや……いやいや、簡素過ぎて全然わかんない!」
「だからね、東城の人間は他人と群れることを嫌うんだよ」

 ソフトクリームのような物を頬張りながら、藤宮が俺に助け舟を出した。
 冷凍菓子……どこから取り出した?

「遠縁の者はそうでもないけれど、直系を取り巻く輩は血筋ちすじってうるさくてねぇ。女性に学はいらないって考えだから、高校も中退することになるだろうね」
「中退? でも羽姫は、学校楽しいって言ってますよ」
「関係ないよ、個人の意思なんて。あそこは御三家の中でも特に戒律が厳しくてね、下手に逆らうと地下牢へ無期限軟禁なんてことになりかねない」
「そんな……でも、その人たちは羽姫のことを捨てたんでしょ? 羽姫はうちの子だ。今さら取り返すなんて、そんな都合のいいこと……」
「君は本当に、なにも知らないんだねぇ」

 嘲笑する藤宮の視線に気付いた絋介が言葉を止める。

「身勝手な我儘が許されるのが御三家だ。世の法律は僕たちが作っていると言っても過言ではない。例え白でも、僕たち御三家が『黒』といえばそれは黒に変わるんだよ」
「……羽姫は、これからどうなるんですか?」

 圧に押され、またこれ以上なにを言っても無駄だと諦めた絋介が項垂れて言った。
 藤宮は相変わらず甘味を頬張りながら、話を続ける。

「さっき帝が説明したけど今後生涯、東城の屋敷に軟禁されるだろうね」
「生涯……一生外に出れないってことですか?」
「東城の女性にとっては珍しくないよ。心配しなくていい、敷地も広くて一族の数も多くてね、血族以外と会えないという枷(かせ)を除けば良い所だよ」
「でもそれじゃあ、羽姫は俺や叔父さんたちには二度と会えないってことで……みかど、帝は? 御三家だから帝はその東城の家に入れるのか? 羽姫に……」
「会えるわけがないだろう。東城が他人を受け付けないという問題以前に、うちの月詠家と東城家は仲が悪い」
「で、でも帝だって御三家だろ? 抗議したらなんとか……」
「無理だ、絋介。東城の血縁囲いは今に始まったことじゃない。御三家が成立した時からやつらはそうだったし、それに関して俺たちが干渉することは出来ない」
「出来ないって、帝はそれでいいのかよ? 羽姫と離れ離れに、二度と会えなくなっても」
「…………」

 声が出なかった。なにかを返答したいと思うが、言葉が見つからない。
 そんな俺をみかねた絋介が、藤宮に目をやる。

「藤宮さん、貴方は?」
「僕を当てにするのは見当違いだなぁ。僕ら藤宮は、どちらの味方でもないから」
「でも帝と仲良いし……」
「仲が良いわけではない、腐れ縁だ」
「そうそう、同じ御三家ってだけの縁だしね。それにね、絋介くん、僕が帝一人に与(くみ)していると思ったら大間違いだよ」

 いつの間にか、甘味を貪る藤宮の手が止まっていた。
 菓子袋で口元を隠し、くすくすと笑う。

「この後、会う約束をしているのか?」
「いや? でも今は電話って手段があるからね。彼とはここ毎日、お話しているよ」
「なるほど、今宵はさぞ盛り上がるだろうな。絋介、取り急ぎ別の場所へ向かう」

 会話についていけず惚ける絋介の腕を掴み、藤宮に向けて片手を上げた。

「時間を取らせたな、藤宮。感謝する」
「構わないよ、僕は総じて暇だからね」
「では、外に出てみてはどうか? 暇を持て余す余裕などなくなる」
「遠慮しておくよ。僕はこうして人を待つのが性に合ってる。困ったことがあればまたおいで」

 手をひらひらさせ、藤宮が微笑む。
 絋介は俺に腕を引かれながらも、深く頭を下げて藤宮に礼をしていた。
 この友人の律儀なところは、嫌いではない。

2.交差する剣の東城

 藤宮の屋敷を去り、歩くこと三十分。
 本日二度目の石壁。しかし藤宮の屋敷とは違い装飾がなく、白い無機質な壁がそびえ立っていた。
 鉄でできた巨大な門の上には、剣を交差させた模様をあしらった家紋。

「東城家だ」

 俺の言葉に、絋介はぎょっと肩を跳ねさせる。

「と、東城って、羽姫が軟禁されてるって」
「滅多なことを言うな、すでに会話は聞かれている」

 巨大な正門を見上げていると、その隣にある小さな扉がキィと音を立てて開いた。

「ご無沙汰しております、月詠の帝様」

 中から出てきたのは三十路ほどの男。
 恰幅の良い彼は薄灰色の直垂を纏い、両手を合わせて頭を下げている。

「久方ぶりです」

 本当に久々過ぎて、この門番が久しぶりなのか初めましてなのかわからなかった。
 最後に訪れたのは兄上の元服の儀だったか。

「時泰殿はご在宅で?」
「連絡済みで御座います。しばしお待ちを」

 その体勢のままピクリとも動かない。藤宮の者といい目の前の彼といい、なぜ門番は熱心な者が多いのだろう。
 ため息をついて正面に向き直る。その時ちょうど、鉄門が音を立てて隙間を作った。

「事前の応諾(おうだく)もなしの訪問とは、不躾にも程がある」

 家来の男たちが手動で動かす巨大な鉄門、そのど真ん中で偉そうに仁王立ちしている男が言った。
 歳のほどは周りの家来達より随分若い二十歳と少し、端正な顔立ちの長身男。

「イケメン……」

 絋介が零した言葉がやつに伝わってなければ良いと、切に願った。

「久しいな、月詠の帝」
「あぁ、相変わらず元気そうだな、東城の時泰」

 交わす挨拶に和やかさなど欠片もなく、むしろピリピリとした険悪な空気が漂っていただろう。
 倉皇(そうこう)として頭を振り乱す絋介の庶民的な様(さま)が、やはり面白かった。

「お前達は下がれ」

 早々に人払いをした東城時泰は門上を一瞥し、移動して立ち話の場所を変えた。
 監視カメラが音声を拾うことを危しての配慮だろう。

「虜外(りょがい)の叩扉(こうひ)についてはこちらに非がある、申し訳ない」
「素直に詫びるじゃないか、可愛らしいことだ」

 口角を上げながら、東城は懐(ふところ)から取り出した煙管(たばこ)の先にライターで火をつけた。

「夜武羽姫のことだろ?」
「話が早くて助かる。藤宮からなにか聞いたか?」
「やはり藤宮のところへは訪問済みか。いや、やつには未だ連絡していない。だが、お前がここに来ることは想定済みだ……となると、そいつが讃岐絋介か」

 視線を向けられた絋介が萎縮し、両手を揃えて腰を九十度に折る。

「初めてまして、讃岐絋介です。帝くんとは高校の同級生で……」
「あー、そういうの要らない。知ってるから」
「知ってる?」
「調べたからな、夜武羽姫に関するあれこれについては。それよりお前、帝くんって呼ばれてんのか? きっしょ」

 煙管を吹かす東城の横顔が憎たらしいが、拳を握って暴言を飲み込んだ。

「単刀直入に聞くぞ、東城。夜武羽姫が東城の人間であるという根拠は?」
「根拠……まずは経緯から話していいか? 長くなるが」
「差し支えない、全て話してくれ」
「そうか。じゃあ少し待っててくれ、水飲んでくる」
「……なにを言っている?」
「のど渇くんだよ、煙ばかり吸ってると。逃げないからそこで待ってろ」

 こちらの了承も得ないまま、東城は扉の中へ入ってしまった。
 平常運転の彼に唖然とする間も無く、苛立ちが募る。

「み、帝……」

 咄嗟に、声をかけてきた絋介を睨んでしまった。しかし絋介は俺の表情に気付くことなく、俺に耳打ちする。

「あの人が、御三家の東城の人?」
「あぁ、東城時泰。この屋敷の次期当主だ」
「なんか、貴族っぽくないね。帝や藤宮さんと比べて大雑把というか……」
「野蛮というか?」
「そ、そんなことは言ってないけど」
「東城は内の戒律が厳しいからな。他のところで気が抜けるのは致し方ない。お上様もその辺は容赦している」
「へぇ……次期当主ってことは、東城の中でも位が高いってことだよな?」
「位が高いどころかほぼ頂点だ。現当主の汚行が明るみになった今、実質の権力者はあいつだろうな」
「現当主? おこう?」
「……君は、藤宮の屋敷でなにを聞いていたのか」
「話って、姫が東城の主人の隠し子で……え?」
「その主人が現当主、あいつの父親だ」
「じゃあ、羽姫は、東城の……」
「当主の娘、次期当主の妹。姫にとっては、あいつが本当の兄になる。東城の血が流れていることが事実ならばな」
「え、えぇっ?」

 大声を上げる絋介の口元を両手で押さえる。その時ちょうど戻ってきた東城が煙管に火をつけ、ケラケラと笑った。

「なにお前ら、そういう関係なの? ミカドクン? ……きっしょ」

 辛抱が効かず殴りかかろうとした俺を、絋介が腕を掴んで止めた。

 壁にもたれる東城と、直立不動で緊張が抜けない絋介。屋外での接待ではあったが、藤宮での待遇が如何に丁寧であったか。
 やがて東城が、話を始める。

「おおよそ三ヶ月前だな、東城を離脱するか否か、瀬戸際の遠縁商人が拠点を変えるとかで去ってな。あ、お前そこの息子知ってるだろ?」
「麻上か?」
「同い年だったらしいな」
「数少ない友人だ」
「はぁ? 東城の狗(いぬ)だぞ?」
「知っている。一般人も在籍するあの高校は身分ではなく、年齢や成績によって上下関係が決まる。麻上とは同年であり、彼がどの血筋だろうと俺が月詠だろうとそんなことは関係がない」
「自由でいいなぁ、お前は」

 煙管を吹かす東城が空を見上げる。
 なにを言っても嫌味になりそうで、声を殺して煙を見つめた。

「その麻上くんの話によると、転校生の美女を巡って熾烈(しれつ)な争いが行われたらしい」
「…………」

 絋介を一瞥すると、目をそらされた。
 思うところがあったのだろう。おそらく、俺と同じことを。

「有史以来いや空前絶後の美少女で、麻上が言うには、美を誇る東城の女性たちよりも見栄えがすると。俺はその言葉に、違和感を覚えた」

 そこまで聞いて、胸中が騒ついた。
 東城家というのは美意識も自意識も高い人間が多い。血族婚で他の遺伝子を受け入れない故もあるだろうが、彼ら一族は男女問わず総じて風貌が良いと言われている。
 その筆頭である目の前の男の外面が良いので、その噂は造説というわけではあるまい。

「真相を見出すため、俺は麻上が通っていたという高校に出向いた。そして夜竹羽姫を見て確信した、あれほど美しい娘が東城の人間でないはずはないと」
「……なにを言っている?」
「だから、美しい人間は総じて東城の人間だ。だから夜竹羽姫は東城の人間である。なにか問題があるか?」
「東城、それは……自分がおかしなことを考えていると思わなかったのか?」
「なにがだ?」
「容姿端麗だから、東城の血が流れているかもしれないなど……」
「おかしくはないだろう、至極当然の説だ。加うるに、東城の女よりも美しい者がいるなど、あってはならない」
「そうか……うん、君たちの美に対する自意識は存分に斟酌(しんしゃく)した。しかしそれを以って姫が東城の人間だと主張するのは、少々信憑性に欠けるかと」
「名証(めいしょう)ならある。遺伝子鑑定で、父上との親子関係が確認された」
「…………遺伝子鑑定?」

 思わぬ言葉に、惚けた声を上げてしまった。
 東城は表情を変えないまま、淡々と語る。

「帝、お前、俺のことをその辺の阿呆と同類だと思ってるだろ? 残念ながら石橋は叩き壊してでも愁眉(しゅうび)を開きたい性分でな」
「叩き壊しては渡れない、本末転倒だろう」
「三ヶ月という時間をかけて夜武羽姫の身許を調査し、遺伝子鑑定の結果を待っていた」
「待て、遺伝子鑑定には本人の同意が必要なはずだが?」
「俺は東城だ、御三家の」
「鑑定に必要な物の採取は? 血液や血痕、粘膜など容易く手に入るものではないよな?」
「……まぁ、そこは、黙秘権を行使していいか?」
「否」
「相変わらず蛮勇(ばんゆう)なことで。月詠の庶民坊ちゃまは」

 面倒くさそうに呟いた東城が煙管の屑を地面に落とす。壁に手をついて背中を離し、そのまま俺の方へ向き直った。

「いきさつはどうあれ、アレは東城の娘だ。血縁関係が認められた以上、月詠に干渉する権利はない。話は以上だ」
「……短い話だったな、長くなると聞いていたのだが」
「壮大であったろう? それと讃岐絋介、貴殿宅へは後日改めて伺う」
「……え?」
「我が実妹が世話になった謝礼を以て」
「そんなの、別に……」
「待て東城、勝手すぎやしないか? 個人の情感を慮(おもんぱか)ることなく、東城の戒律のみに従うなど。加えて、姫と面会の機会もなく離別せよとはあまりに酷だ」
「あぁ、それな。其れに関しては斟酌(しんしゃく)してある。そろそろだと思うが……」

 東城が視線を横に向けたので、俺と絋介は目線を追って振り返った。
 目に飛び込んだ姿に、息を飲む。

「お久しぶりでございます」

 美しい。と、なによりもまず高揚感が胸を支配した。随分と懐かしく思える再会だが、実際には今朝ぶりだ。
 ちょこんと頭を下げる姫の衣装は十二単衣。煌びやかな帯と桃色を基調とした上品な衣装。
 頭を起こした顔は薄く化粧が施されており、唇の紅には艶があった。

「美しいであろう? 改めて紹介しよう、俺の妹だ」

 両手で持つ扇子で口元を隠し、ぺこりと頭を下げる姫。愛らしいという感情と共に、違和感を覚えた。
 姫が東城の屋敷に入ったのは今朝だ。それまでは一般家庭で育った、庶民の娘。
 なぜこれほどまでに、礼儀作法が完璧なのだ?
 身のこなし、扇子の持ち方、辞儀の角度、なにをとっても貴族の娘と遜色劣らぬ、むしろそれ以上だ。

「あ……羽姫、綺麗、だな」

 絋介の声は震えていた。
 恐る恐る、伸ばした手を、姫はふいっと交わして東城の背後に隠れる。

「羽姫?」
「申し訳ありません、讃岐様。東城の娘は、血族以外の男に触れてはならないとの戒律がありまして」
「え、あ……そう、なんだ」

 茫然と手を引く絋介。戸惑うのも無理はない、俺だって混乱している。
 なんだ、これは……なぜ、姫はこの数時間で完璧な東城の娘になっているのか。なぜ、あれほど慕っていた絋介を拒むのか。
 なぜ、俺を見ようとしないのか。

「話をする程度ならば支障ない。羽姫、前へ」
「……はい」

 東城に促され、姫は三つ歩み出て絋介の前に立った。

「連絡も致せず、申し訳ありませんでした」
「え? あ、びっくりしたけど。うん、びっくりして帝と一緒にいろいろ回ったんだ、羽姫の行方を追って、帝が」

 助けを求めてか、絋介が俺に目線をくれた。しかし姫のほうは動かない、軽くうつむいたまま口元を扇子で覆う。

「讃岐様」

 名前を呼ばれ、絋介は姫に向き直る。
 つい朝方まで妹として接していた相手から姓で呼ばれるのは如何な気持ちか。

「私、東城の家に入ります」
「……え?」
「突然のお話には驚きましたけれど、今日ここで過ごさせて頂いて決心しましたと共に、東城は私に好適であると認識致しました」
「驚かされたぞ、礼儀作法や舞踊の稽古に至るまで初めて学んだとは思えない上達の速さ。生い立ちがどうあれ、東城の血が流れている証拠だ」
「滅相もございません、兄様。私にとって全て初めての世界なのに、なぜか懐かしさを覚えました。あぁ、私はこの家の、貴族の娘であったのだと気付かされました」
「待て、おかしいであろう」

 俺の言葉に、一瞬だけ姫が顔を上げた。しかし視線が交わることなく、姫は顔の半分を扇子で隠し目線を落とす。

「東城の血が流れているとはいえ、人格や経歴はその者の育った環境に帰結する。讃岐の家で育った君が、東城に郷愁(きょうしゅう)の念を感じるなどあり得ない」
「そうは言ってもなぁ」
「姫、本意を語ってください。あれほど絋介のことを慕っていた君が、東城のほうが良いなどと……」
「讃岐の家で過ごした日々は偽りでした」

 目線を落としたまま言い切る姫。美しいのにいつもの愛らしさはなく。
 ただ、冷たい少女がそこにいた。

「顧みれば、あれは鬱屈(うっくつ)な日々でございました。粗末な食卓を囲い、乱雑な寝床で愉快でもない話を延々と聞かされる日々」

 絋介の肩が跳ねる。
 これ以上聞かせるべきではないか、と思ったが俺自身も体が動かず、ただ立ち尽くしていた。

「教育の場に至っては実に不愉快でした。慕情(ぼじょう)の欠片もない殿方からの猥(みだ)らな視線」
「彼らの慈愛を弄んだのは、他でもない君自身では?」
「滅相もありません。傍迷惑この上なくございました」

 どこで覚えた言葉か。いや、東城の屋敷で教わったのか。
 寄り寄りおかしく、実に不愉快だ。

「東城では何不自由ない煌びやかな生活が約束されています。此の様な美しい着物も、東城に入らなければ触れることも叶わなかった。私は本日より讃岐様のもとを離れ東城へ」
「それが君の本意か?」

 俺の言葉に、僅かに反応した姫が目線を落とす。

「差し支えありません」
「そうか、遺憾だ。君が望むのなら、便宜を図ることも出来たやもしれぬのに」
「……え?」

 姫の視線が俺に向いた、ようやく。
 漆黒の麗しい姫の瞳を見つめ、再度問う。

「それは君の、本心か?」
「…………いえ」

 ぱっと視線を逸らし、姫は扇子で顔を隠した。

「私は東城の人間です。ここで暮らしていくと決めました。俗世には戻らない」
「……そうですか」

 俺が歩みを進めると、姫の肩が小さく跳ねる。
 見逃すはずがない、そんな小さな動作でさえ。だから俺は脇を抜ける際、彼女にそっと囁いた。

「今年は暖冬との噂がある。桜の見頃は春分のころかもしれません」

 姫が顔を上げるが、すでに俺は背を向けていた。

「手間をかけたな、東城。仲立ち感謝する」
「事もない。満足いったか?」
「……いや?」

 俺の返事に、東城は意味を含んだように微笑み、姫の肩を抱いた。

「では讃岐殿、改めて」

 言葉は交わすが、東城の関心はすでに屋敷の中へ向かっている。
 連れ立って歩く姫は、一度さえも振り返らなかった。

「絋介、今日のところは帰ろう」

 静まりかえった石壁の前、佇んでいた絋介が俺の言葉に驚き、顔を上げた。

「あぁ、うん」

 歯切れが悪い絋介の腕を引き、東城の屋敷に背を向けた。

「大丈夫だ、姫は東城の屋敷に入ることを望んでいない。それならば、本人の意思に反しているならば、いくら東城とあっても姫を囲うことは出来ないはずだ」

 絋介からの返事はない。振り返ると、青白い顔の絋介はうつむきながら歩みを進めていた。
 今はなにを話しても無駄かもしれない。
 構わない、俺が出来る事を成そうと、絋介と別れて月詠の屋敷へ急いだ。

3.三日月の月詠

 月詠の屋敷に戻った俺は、兄の部屋へと足を進めた。
【当主館】と表札がある建物の前にいる見張り番に軽く頭を下げると、彼は俺よりも深く辞儀をした。

「兄上に謁見(えっけん)願いたい」

 見張り番に告げると同時、建物の中から初老の男性が出てきた。
 周りの者が一斉に頭を下げる。当主直属の補佐官だ。

「帝様、お時間は御座いますか?」

 深々と辞儀する補佐官の男が、俺を窺う。

「俺は構わない……が」

 まさかとは思ったが正に。
 補佐官の男は手のひらを上に向け、俺に中へ進むよう促した。

「五分程度なら構わないと申されております故、お急ぎください」
 
 兄の庶務室、当主館に入るのは久しぶりで、自然と背筋が伸びた。
 螺旋階段を上り一番奥の部屋の扉を開けると、正面の大机の向こうに兄がいた。

「……ご無沙汰しております、兄上」

 声をかけると、兄は手元の書類に目を落としたまま返事をした。

「久しいな、帝」

 俺の十つ上、今年で二十七になる一番上の兄は、数ある兄弟の中でも唯一、俺と同じ母親から生まれた。黒髪が同じだ、目元が似ているなど、様々なことを言われるが、俺はなに一つ納得していない。
 その若さで当主を任された兄上は聡明かつ偉大だ、俺では足元にも及ばない。

「学校はどうだ? 愉快に過ごせているか?」
「お陰様で」
「我はなにもしていない、謝辞は亡き父上に述べるべきであろう」
「ご指摘の通りです」
「無茶を通して庶民学校に入学した甲斐があったな」
「…………」

 嫌味なのか、それとも本心からの祝辞か。
 兄の言葉はいつもわからない、表情が見えぬ所以もあるが。

「兵なら出さぬぞ」

 他念を持っていた合間に先手を切られ、慌てて顔を上げる。

「なにを、おっしゃっているのか……」
「五分程度しか設けぬと言ったろう、無駄話はやめろ」
「……ご指摘のとおりです。夜竹羽姫を連れ戻したいがために、兄上から東城へ……」
「遺伝子鑑定で血縁が証明されたのであろう? なれば月詠が介入する理由はない」
「俺の個人的な、厄介事です」
「個人的、か……随分前だが、月詠の名で警察を動かせたろう?」
「警察?」
「唐の商人を捕まえた、とか」
「あぁ」

 姫の恋人選び、候補であった阿部が騙された時のことだ。
 たしかにあの時、警察の同行を依頼したが。

「月詠の力を行使した覚えはありません。一私人、ただの高校生として通報、助力の懇願(こんがん)は致しましたが」
「だが姓を名乗ったろう? ただの高校生のために、あれ程多くの国家公務員が早々に動くと思うか? 悪戯を疑いもせずに?」
「……以後、気を付けます」
「一私人として認識されたいなら月詠の名を捨てろ」

 淡々と吐き出される言葉。
 兄の視線は俺ではなく、机上に積もる書類の山だった。一枚、また一枚と目視しては何かを書き込み、また別の場所へ積んでいく。
 よくもまぁ、俺と会話をしながら別のことが出来るものだ。
 俺には無理だ、確実に。

「それは、月詠の家を出て行け、と解釈しても?」
「阿呆か、お前は。月詠の姓を名乗る以上、自身の言動に責任を持てと言ったのだ。だが、お前がそれを望むなら我は構わないぞ。父上は幸いにして数多の男児に恵まれた。帝、心得ているだろうが、末男(まつなん)のお前が月詠の当主になることはあり得ぬ」
「承知しております」
「継嗣(けいし)が一人いなくなったところで誰も困らぬ、むしろ喜ぶ輩もいるであろうな」

 兄の手が止まった。
 膝の上で両手を組み、俺を見つめる。

「月詠の姓を持つお前の言動には、御三家の責が伴う。自らの行いを省み、面が立たぬことはするな。一私人として自らの本意に従って行動したい場合は、月詠の名を捨てろ」

 久しぶりに見た兄上の目は綺麗だった。
 曇りのない、真っ直ぐな瞳。
 それなのになぜ、俺はいま、説教を受けているのだろう。『月詠の名を捨てろ』と、破門のようなことを言われているのだろう。
 昨年の暮れまで、父が在命の頃は愉快だった。嫡子の兄と共に、様々な社交の場へ連れ出された。そこで藤宮や東城とも知り合った。世継ぎではないからと名前で、『帝』と呼ばれるようになった。
 特別ではないのに特別な存在。
 父が亡くなるまで、他の兄と違って自分は特別なのだと思っていた。嫡子しか行けないはずの社交場に連れて行ってもらえた、好きな高校に行かせてもらえた。
 いまさら、月詠の名を捨てろと?

「……申し訳ありません」

 深々と頭を下げると、兄のため息が聞こえた。

「話は以上だ、下がれ」

 顔を上げると、兄は再び資料の山に目を通していた。
 深く礼、顔を上げて姿勢を正し、踵を返す。
 外に出ると、兄付き老人が辞儀をして俺を見送った。会釈し、自分の部屋へと向かう。
 廊下を歩いている時に様々な人に会った。腹違いの兄が侮蔑の視線を投げつけたり、下女がなにかを喚いて追ってきたりしていたが、全て無視して自室に戻った。
 ネクタイを解き、自分が未だ制服を着ていることに気がつく。

「……絋介に、話をせねば」

 鞄から取り出した携帯が震えていた。いや、震源は俺の手だ。
 止まらぬ震えを反対の手で押さえつけ、携帯をベッドに投げ捨てる。
 なにを、話すのだったか?
 そもそも俺はなぜ、兄の元へ向かったのだろう。

『月詠の名を捨てろ』

 どうして、そのような話になった?
 混沌とする頭の中、微かに往年の記憶が蘇った。
 満月の光の中、日本一高い山の頂上に煙が立ち込めていた。天の羽衣を纏い消えた少女、地上では残された男が一人、枕を濡らす。

『逢ふことも涙に浮かぶ我が身には』

 あのとき守れなかった人は……
 生まれ変わってでも共に、今度こそ想いを遂げたかったのに。



 翌日、教室に入ると既に絋介が登校していた。

「おはよう」

 声をかけると、絋介は大袈裟に揺らし顔を上げる。

「あ、おはよう。帝、寝不足?」
「何故(なにゆえ)?」
「目の下、すごいクマできてる」
「……君こそ、人のこと言えないぞ」

 俺の言葉に、絋介は慌てて視線を落とす。

「昨日、寝れなくて。東城の人が来たんだ」
「…………は?」

 あまりにさらっと言うものだから、危うく聞き逃してしまうところだった。
 絋介は俺を一瞥し、再び下を向いた。

「羽姫を育ててくれたお礼にって、三千両、置いていった」
「たった三千両か、姫への対価が」

 俺の呟きに、ピクッと絋介の手が震えた。
 気にせぬまま、話を続ける。

「その三千両、受け取ったのか?」
「受け取ったわけじゃないけど。そのまま、テーブルの上にあると思う」
「返さなければ受け取ったと同じだろう」
「叔父さんたち、すごい泣いてた」
「なにを話した?」
「なにも……向こうが一方的に話して、よく覚えてないというか、ちゃんと聞いていなかったというか……難しいことペラペラ喋って、お金置いて、帰っていった」

 無理に笑顔を作ろうとする絋介の様(さま)が滑稽で、声をかけることが出来なかった。
 唇を噛んだ絋介が、両手で頭を抱えて机に突っ伏す。
 手をつけていないにも関わらず『三千両』と明言している様子を見ると、包むこともしなかったのか?
 不躾な……いや、まぁ、そんなものだろうな、貴族は。
 しかも相手はあの東城、最上位貴族、御三家の一つだ。居間に上がっただけ礼儀を弁えていると褒めてもいい。
 出された茶には、手をつけなかっただろうが。

「俺からも一つ、本意なき報(しら)せがある。月詠の力はあてにできそうにない。当主である兄上に挙兵を懇願しに行ったのだが」
「挙兵?」

 ゆるりと顔を上げた絋介と目があった。
 見開かれた、畏怖(いふ)を表した色。

「なにそれ、戦うってこと? 東城の人と?」
「兄上が許可すればそうなっていた可能性はあるが、冷静に考えれば俺がどうかしていた」
「姫を取り戻すために、月詠と東城が?」
「だから、争う気はないと言っただろう。御三家間での抗争は避けたい。しかしそうなれば、姫を取り戻す策が……」
「余計なことするなよ!」

 絋介の大声が、教室内に響き渡った。室内の視線を全て集めるほどに。
 それに気が付いた絋介が、若干声を落とす。

「もういいよ、帝。わかったんだ、羽姫と俺は住む世界が違うって」
「なにを言っている? 君たちは共に育った兄妹だろ? 血は違えど」
「環境なんて関係ない、大事なのは出生だよ。俗世だってそうだろ? どこに生まれたかで身分が決まる、親から受け継いだ遺伝子でその子の能力が決まる。個人が歩んできた道、努力で人生が変わるわけじゃない、生まれながらに人の生涯は決まってる」
「それは違うだろう。努力によって変えられるものもある。なにより絋介、話が逸れている気がするのだが」
「だから、羽姫は特別な存在だったんだ。俺の手が届かないくらいに」
「どうした? 東城の者になにか言われたか?」
「……格の違いを、思い知らされたよ」

 再び絋介の口角が緩んだ。
 歓喜とは程遠い、不気味な笑みを浮かべ俺を見つめる。

「貴族ってやつらはぽんっと三千両も出せるんだ、ってな」

 じっと俺を見つめる目線を、逸らすことが出来なかった。
 やや遅れて俺は、絋介の言わんとすることを理解する。

「待て、絋介。すまない、さっきのは……」
「お前ら貴族はたった三千両かもしれないけど、俺ら庶民にとって一生遊んでくらせるくらいの大金なんだよ!」
「承知している、待ってくれ」
「なにを待つんだよ。それにそれ、その言葉。承知している? 普通の人間はそんな言葉使わねーよ!」
「絋介、落ち着け……」
「もういいよ! 構わないと思ってたんだ、今までは。言葉遣いも振る舞いも。貴族だろうとなんだろうと、帝自身がいいやつだと思ったから、同じ人間だって思ってた」

 呼吸を整えながら、言葉を選びながら、絋介が声を出す。
 返す言葉が見つからないまま、俺は絋介の話に耳を傾ける。

「昨日一日連れ回されて、御三家の人たちの家を回って、人間性? オーラ? とにかく俺ら民衆とは違う、違和感あるなって思った。そして最後にあの羽姫だ。綺麗だった、今まで以上に。上品だった、まるで別人のように」

 絋介は膝上で結んだ拳を、強く握りしめる。

「俺は羽姫にあんな高価な着物買ってやらない、礼儀作法も教えてやれない。広い屋敷で、うまい飯を食わせてやることなんて、俺には出来ない。一晩考えて納得したんだ」

 絋介は目を閉じ、ため息を漏らした。

「羽姫は本来あるべき場所へ帰れた、祝福すべきだと。帝、今までありがとう」

 開いた瞳は涙で滲んでいた。
 ありがとう? なにが?
 聞き返そうにも言葉が出ない。そして声を発するまでもなく、それが別れの挨拶だと気がついた。

「俺みたいな庶民に構ってくれて、ありがとう」

 顔を背け、絋介が立ち上がった。背中を丸めて廊下へ向かい、出て行ったきり絋介は戻ってこなかった。
 よく見れば、彼の通学鞄がない。
 なにも持たずに、すぐに帰る気で登校したのか。それとも茫然としていていただけか。
 どちらにせよ、絋介は居なくなった。取り残された俺は一人、教室に佇んでいた。
 始業前の開始を告げるベルが鳴り、教師に促されようやく自席に座る。
 それ以降の音は耳に入らなかった。移動教室もあったはずなのに俺は一日ずっと椅子に座っていて、気がついたら放課後、同級生は誰もいなくなった。
 一人取り残された教室。
 数少ない友人が一人、居なくなった。

「帰らないんですか?」

 夕暮れの陽射(ひざ)し。
 ぽつんと居残る俺に声をかけたのは高坂繭だった、亜麻色ウェーブ髪の麗しい乙女。
 ドアに手をかけていた繭が後ろ手でそれを閉め、俺へ歩み寄る。

「鞄持ちましょうか? ……どこに置いてます?」

 そこでようやく気がついた、今日は荷物を持ってきていないと。
 人のことを言えないのは、俺の方だ。

「お昼ご飯も食べてないんでしょ? なにか奢りますから」

 後輩女子に恵んでもらうとは如何なものか。
 そして残念なことに、足が動きそうにない。

「歩けないなら、私が支えますから」
「……ははっ。君は本当に、人の心が読めるようだな」

 渇いた笑い声を漏らすと、きょとんとした繭が俺の顔を覗き込んだ。

「先輩専用ですよ?」
「そうか……凄いな、君は」

 項垂れてため息をつくと、久々に息をしたような感覚に襲われた。

「ご友人と喧嘩したんでしょ?」
「千里眼も有するか」
「先輩のことなら何でも知りたいんです」

 唇に塗った紅をきゅっと結んで繭が微笑む。
 可愛らしい少女だ、相手が俺でなければさぞかし寵愛(ちょうあい)されたであろう。

「元に戻っただけですよ、先輩」

 両手で俺の頬を包みながら、繭が囁く。

「だってあの人は、本来ここに存在すべきじゃなかった。其々が有るべき場所に帰って、以後の役目を全うするだけです。先輩の未来にはもともと、あの人の姿はなかったんです」

 繭の手が俺のうなじに伸び、俺を抱きしめた。

「帰りましょう、先輩」

 振り払うことは出来なかった。
 頬を伝う冷たさを、繭の制服の衣が拭き取った。

第4話

https://note.com/saegusanatsuki/n/nfbb576e9a3d7

#創作大賞2023


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