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小説|カラフル 鈍色の道から 3

 朴訥な父がまさか大声を出すとは思わなかった。そう言って由恵は笑った。私は恥ずかしさと情けなさで真正面に座る由恵のことをなかなか見られなかった。

 あの時、取り乱した私に驚いて恵子まで作業場に飛んできて、急に家の中は賑やかになった。慌てる私、驚く由恵、そして二人を見て何故か腹を抱えて笑い出した恵子。

 私はそれを思い出して眉間にしわを寄せた。

「でも良かった。こんな風にお父さんと話したの、久しぶりだし」

 確かにそうかも知れない。由恵と会話をしたのはいつぶりだろう。可愛い娘だと思ってはいても、年頃になった由恵は私を遠ざけ始めたことには気がついた。その頃から私も由恵には近づかなくなったように思う。年頃だから仕方ないのよ、と恵子も言っていた。

 だが今の由恵は私や恵子と接して楽しそうだ。その様子を見た私はほっとすると同時に疑問を覚えた。確か作業場に入ってきた時、由恵は深刻な顔をしていたはずだ。

「由恵。話があるのか?」

 居間でテーブルを挟んで向かい合った由恵が急に真顔になる。

「会社、辞めたの、私」

 由恵がぽつりと呟くように言った。半ばそうではないかと思っていた私の驚きは少なかった。だが恵子は違ったようだ。

「どうしたの、急に! これまで会社で問題なんて」
「違うの、お母さん。私ね。あの会社が好きじゃなかったの」

 そう言ってから由恵はこれまでにあったことを少しずつ話し始めた。最初は不安げにしていた恵子も、話が進む内に落ち着いてきた。私は由恵が置かれた立場を思い、その会社に憤りを覚えたが黙っていた。

 由恵は会社でパワーハラスメントを受け、同僚には陰口を叩かれ、それでも耐えてきたのだと語った。男運も悪くて、と言いにくそうに告げてから、由恵は唇を噛んだ。そこで我慢が出来なくなったのか涙を零す。

 由恵は誰が悪いとは一言も口にしなかった。自業自得だと言って泣き笑いの表情を浮かべる。

「辛かったね、由恵。頑張ったね」

 子供にするかのように恵子が由恵の頭を撫でる。すると堰を切ったように由恵が泣きじゃくった。

「自分で決めたのならそれでいいんじゃないか」

 色々と言いたいことはある。例えば今からどうするのか。どこか別の就職先を見つけているのか。それともうちに戻ってくるつもりなのか。

 だが今はそれを言うべき時ではないと私は考えた。限界まで耐えたからだろう。由恵は疲れ切った顔をしている。そんな由恵に今すぐに何かを決断しろ、というのは厳しすぎる気がする。親馬鹿かも知れないが、少し休む時間があってもいいのではないだろうか。

「それで? 帰ってきた理由は報告したかったからなの?」

 私がためらっている間に恵子がさっさと訊いてしまう。私は困惑したが顔には出さなかった。こういう時は恵子に任せた方が良いことはよく知っている。

「それが一番の理由だったんだけど……私、お父さんとちゃんと話をしたことがないって気付いて」

 私と?

 私は思わず自分を指差した。すると由恵がそう、と頷く。

「私ね。この爪、この頃嫌いになってた」

 そう言って由恵がテーブルの上に手を乗せる。やはり、と私は心の中で呟いた。由恵の指や爪の形は私にそっくりだ。短く太い爪、骨張った指。それらが由恵のコンプレックスになっていたのだ。そのことを改めて知って私は悲しくなった。

「でも、今は好き。だってこの爪じゃなかったら、ネイルなんか作らなかったもん」

 由恵が涙を拭いて横に置いていた鞄を探る。何事かと身構えた私の目の前に、由恵はずらりとネイルチップを並べた。しかも全て美しく飾られている。

「これ、作ったの、私」
「これを? 全部か」

 思わず私は身を乗り出した。私とはデザインの方向性は異なるが、由恵の見せてくれたネイルチップは出来が良かった。特に塗りが美しい。

「あらあら。これは大変ね、あなた。ライバル登場? かしら」

 楽しげに笑った恵子が立ち上がる。どうやら茶を淹れてくれるらしい。これまで由恵に茶すら出していなかったことに、私はやっと気がついた。

「ライバル……?」

 怪訝そうな顔をした由恵が首を捻ってから、何故かスマートフォンを弄り始める。どうしたのだろうか。もしかしたら会社から連絡でも入ったのか。心配する私を余所に、何故か楽しそうに鼻歌をうたって由恵がスマートフォンに指を滑らせていく。

「やっぱり! お父さん、Keiでしょ! でもKeiって名前……お父さんは由伸よしのぶだし……まさか、お母さん!?」
「あたり!」

 背後から聞こえてきた恵子の声にびくっとして、私は焦って振り返った。うふふ、と含み笑いした恵子は三人分の茶と茶菓子の載ったトレイを運んできた。

「由恵は判るの? そういう、誰が作ったとか」
「デザインみたら判るよ。さっきいっぱい並んでたなーって思って」

 二人は勝手に会話を弾ませている。私は用意された茶を啜り、金平糖を口に入れた。いつもはほんのりと感じられるのに、今日は何故か甘みが強い気がする。

「そっかぁ。ライバルかー。いいね、それ。私も作って良い? 事務所、魔改造してどうしたのかって思ってたの」

 どうやら由恵は家の外から作業場を見て妙だと勘付いていたらしい。それにしても「まかいぞう」というのは何だろう。

「いいじゃない! 由恵が作ったものも見てみたいわ」
「……作業場、分けるか」

 ぼそりと呟いて私は立ち上がった。私も由恵が作るネイルチップを見てみたい。それに由恵と話すことが出来て、私も嬉しい気持ちになった。

 結局、作業場は私が奥半分、入口側を由恵が使うことになったのだが……。

「お父さん! 何でそこにラメ入れるの! お客様の年齢考えてる!? そこはラインストーンでしょ!」
「……石は剥がれる」
「だーかーらー! ラインストーン貼ってから、ジェルネイルで覆って硬化するんだってば!」

 毎日、作業場では由恵との活発? な意見交換が繰り広げられている。私はだが悪い気はしなかった。もう、とぼやいた由恵が乱れた髪にヘアバンドを着け直す。

 あれから由恵は自分名義でネイルチップの販売を始めた。私は今まで通り、Keiとして客のオーダーに応えている。由恵のネイルチップもなかなか好評で、かなりの売れ行きだと恵子がほくほくしていた。

 私と由恵は二人揃いの黒手袋を着けて作業をしている。最初は表面ががさがさになっていた由恵の爪も、今は回復している。どうやらネイルチップを使いすぎたことと、不摂生が原因で荒れていたようだ。近頃は血色も戻ってきたと喜んでいた。

 懸念だった軽トラックは由恵が運転してくれる、ということになった。私の塗装工としての仕事の時は運転手兼助手として付き合ってくれるという。

 それとは別に、私は由恵が運転するための街乗り用の軽自動車を一台買うことにした。恵子も買い物が楽になって助かる、と言っている。私は安心して免許証を返上することが出来た。

 由恵の新しい就職先は決まってはいない。だがこのまま一緒にネイルチップを作っていくのも悪くないかも知れない。近頃ではそう考えるようになった。由恵は手先が器用で、近頃では別の創作にも手を出しているという。意欲があるのなら、それを本業にしてもいいだろう。

 灰色に染まりきっていた私の道の先に、ほんのりと明かりが灯っている。足音すら全て消えていた周辺は少しずつ音を取り戻している。私はこれまでと同じように淡々と道を進む。だがその先に明るいものが見える。

 振り返ると分岐路が見える。私は由恵のおかげで灰色の道から少し外れたようだ。こちらが正しい道だったのか、それとも元の道が正しかったのかは判らない。

「お父さん、お父さん! それ、硬化終わってる! 早く出さないと!」
「あ」

 感慨に耽っていた私は間の抜けた声を漏らし、作業台のネイルチップをライトの下から引っ張り出した。派手なショッキングピンクをベースにしたネイルチップには、ラメとラインストーンが乗せてある。由恵のアイディアを採用したのだ。Takに訊ねたら、このデザインの方がいい、と言われた。

 こうやってこれからも日常が続いて行くのだろう。だが私が進む道はもう灰色ではない。私は由恵にばれないよう、こっそりと微笑んだ。

                                   

何とか完結しました。全て一発書きでした。
読みにくかったらごめんなさい。・゚・(ノД`)・゚・。


今回の記事にはkaede.n5557さんの写真をお借りしました。
素敵な写真をありがとうございます!

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