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いつまで経っても忘れられない猫たち~花子とチョビ、時々ラミ代さん~

うちには歴代、2匹にわたって猫がいた。

花子


一匹目は、先代の花子。

この子はおかんの子。

寝るときは必ず、おかんの枕元でお待ちしておりやした。

おかんの姉(=私のおば)からもらってきた猫。

のちに、そのイジワルおばのほっぺたに噛みついてぶら下がった、という伝説を残す(笑)

私が小さい時からずっと、猫はいたから、一緒にいて当たり前の存在。

花子にはいっぱいいたずらしたなぁ…

でも、気が強い、とても賢い子だった。

ピンクのスカーフがよく似合う、可愛い子(*'ω'*)でした。

残念ながら、写真が今みたいに簡単に撮れる時代じゃなかったから、唯一残った一枚の写真も色あせてしまった。

後でケータイから引っ張り出して、昔撮った写真を更に撮った写真をお載せできたらな、と思っておりやす。

チョビ

2代目の猫。

私の猫。

某保護施設からもらってきた、三毛猫もどき。

チョビが我が家にやってきたのは、花子が亡くなってから3か月後くらい。

まだ3ケ月だった、可愛いチョビは一日中鳴いて外に出してくれ~と訴えていたようだった。

そんな小さい頃のチョビは、1,2週間家を空けて帰ってこないこともざらにありやした。

そういう時は玄関先に、ご飯セットを置いて、ひたすら帰ってくるのを待ちやした。

食が細い猫だったから、毛並みもよく食べた花子よりザツだったし、毛並みがなんてったって薄すぎ(笑)

だから、冬場はストーブの前から離れない。

ストーブはチョビのためにあるもの!という感じだった。

そうやって、段々おばあちゃんになってきて、動物病院に連れていく回数も増えてきた。

花子の晩年は、相当苦しませてしまった。

一本一万円くらいの注射を毎日、毎日打って、最期は救急病院に連れて行こうとしたとき、おかんの腕の中で叫びながら亡くなった。

チョビにはそんな思いはさせたくないと、頑張ったけど、やっぱり猫も歳には勝てなかったのよね。

少しずつ腎臓の機能が下がってきて、薬を飲ませたり、療養食を食べさせたり、栄養注射を打ったりといろいろ手を尽くした。

何故か、チョビの晩年の私の中での呼び名は、「ラミヶ丘ラミ代」さんという名にすっかり変貌を遂げていた。

「チョビ」という存在が私の中から消えてしまわないように、チョビは隠して代わりに「ラミ」と呼んでるのだろうと思う。

今、こうして「チョビ」と記しているまで、ずっとラミ代さん、と呼んでいた。

2022年4月20日、19歳と18日でチョビ(ラミヶ丘ラミ代さん)は天国へと旅立ちました。

最期はそっと、悟られないように息を引き取って。

いつまで経っても、チョビが私のところへ来てくれたこと、忘れられない。

亡くなって2年が経とうとしているのに、今こうしている間にも涙が止まらない(笑)

毎日チョビの写真に語り掛けてるのになぁ。

私の猫、チョビ、ラミ。

これからも一生、私だけの猫だよ!!!

そして、これからも、一度、花子とチョビと繋いだ手と肉球は絶対に離さない。

失礼しやした('◇')ゞ


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