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真面目に経営されるほど「労働の喜び」は失われる

マルクスは「労働は本来楽しいものである」という労働観を示しています。そして、労働が楽しい理由として労働の4つの喜びを主張しました。

労働の喜び

① 自己実現の喜び:人間は労働・生産活動を通して、自身の個性や独自性を発揮していくのであり、自己実現をしていくことができる

② 他人の要求に応えた喜び:労働を通じて、他人の欲求を満足させることは喜ばしい

③ 他人の自己実現に、自分が不可欠である喜び:自身の労働が他人の自己実現に貢献できている喜び

④ ひとのつながりのなかで生きる 人間の姿を知った喜び:労働を通じた人間関係の中で、人間の本質を発見することができる喜び

真面目に経営する

経営者たるもの、会社のミッション・ビジョン・バリューを大事にします。そしてそれを実現するべく、経営のリソースの配分を決めていきます。そして、方針や目標を作り、経営層から事業部長クラスにそれをよく伝わるように、齟齬がないように丁寧に下ろしていきます。そしてそれを受けて、また部長クラスが、課長クラスが、現場がそれに習います。そして全員が同じ方向に向かって動いていきます。実に正しい組織だと思います。そうでないとリソースを限られた領域で最大のパフォーマンスが出せません。そしてグローバル社会でスケールを要する現代において、一方向に意識を揃えていくことは欠かせません。

真面目という言葉は、定性的な言葉です。それぞれの喜びに対して、真面目に経営するとはいかなることかを照らし合わせながらご紹介しようと思います。

自己実現の喜びを許さない真面目な経営

真面目な経営において、与えられたアサインメントは絶対です。そのアサインメントにロバスト性や、猶予、裁量がないものであれば、自分の個性や独自性とのズレが大きい場合、喜びは生み出されません。ひたすら我慢です。アサインメントは意外と"いい加減"でなくてはならず、自己裁量の余地が残されていないと、自己実現の喜びを生み出すことができず、労働とは言えない状況を作り出してしまいます。

他人の要求に応えた喜びを許さない真面目な経営

アサインメントとは、日本語で「割り当て」や「任命」です。つまり、任命されたことは確実にこなすことこそ求められます。要求は上下だけに発生します。アサインメントは評価の都合上、"もれなく"、"かぶりなく"降ろされるべきですから、横方向に要求は生じません。やって当然という目でしか、お互い見ることができなくなります。同じレイヤーの人のアサインメントは、"相互に協力しないとできないこと"にしないといけません。そうでない限り、「お願いします!」と「ありがとう」の関係は生まれません。お互いの不得意を補い合ってあげたほうが、喜びの総量を増やしていけて、結果的に”他人の要求に応えた喜び”を増やすことができます。

他人の自己実現に、自分が不可欠であることを許さない真面目な経営

成長を追い求め、自己実現をせよ。その言葉だけ聞けば、そこに他者が入る余地はあるように感じられません。成長は自己の中にあるように捉えられ、自己実現にはもはや"自己"という言葉が入ってしまっています。自己実現には「自分が!」ということが強すぎるように思います。仕事で自己実現を目指している人が、誰かの自己実現に入り込むなど考えることは困難です。真面目な経営のために、自己実現を要求すれば、労働に関して矛盾を深めていきます。むしろ大事になるのは、誰かのアサインメントのために、尽くすということ。仕事を達成するのではなく、会社の誰かのために仕事をすることで、労働に繋がり、喜びを増やすことができるのです。通常の経営の観点からは遠いので、すっと理解できないかもしれませんが、そういうことです。

人間の姿を知ることを許さない真面目な経営

アサインメントの達成。それだけを見て進め!と言われて、誰が人間の姿を見れるでしょうか。横も後ろも見えなくて当然です。気づいたら周りに人がいて、むしろ驚くくらいかもしれません。アサインメントをぶら下げる真面目な経営は、この点でもやはり、喜びから、なんだか程遠いものに感じられてしまいます。"人間性を見出すこと"自体が一つのアサインメントにしないといけないくらい、労働というものから程遠くなってしまうでしょう。

アサインメントの外側

結局のところは、分かる範囲で仕事をしている限り、そこには労働はありません。経営層、部長、課長の想定範囲内で仕事をしている限り、そこには労働はありません。そして自分ができるとか、できそうとか、知っている範囲で仕事をしている限り、そこには労働はありません。経営層も、上司も、後輩も誰も気づいていないまだ見ぬ仕事に、本当の労働があるのです。そしてその挑戦をお互いが得意なところを提供しあって、誰かの労働を手伝うことです。

そして労働はすべて内なるものからスタートしなくてはなりません。労働とは、やりがいのある仕事と一般的には言われています。「やりがいを持ちましょう!」といってもどうしようもないです。全ては「内なるものから始まる」のですから。自分の心の動きを丁寧に拾って、労働に変換していく作業です。

アサインメントの外側こそ、労働です。誰かの労働のために、労働しよう。

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