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【百人一首】(もろともに/六六 ・大僧正行尊)
諸共(もろとも)に哀(あはれ)と思へ山桜(やまざくら)花より外(ほか)に知る人もなし
(六六・大僧正行尊)
【解釈】
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山の桜よ。私がお前を愛おしいと思うように、お前も私をしみじみと胸に迫るものとして思ってくれ。このような深い山の中で、お前以外に私のことを分かってくれる人などいないのだから。
出典は「金葉集」雑上 五五六。
作者は前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)。
11世紀半ばの人で、天台座主などを務めたほか歌人としても名を馳せました。大峰山に入って修行をしている時、思いがけず山桜に出会って詠んだ歌であるとされています。
難解な単語や言い回しはなく、ストレートにうたっているからこその強さがありながらエレガント。美しい歌です。
大峰山は奈良県南部の山で、市町村で言えば天川村あたりでしょうか。中心となる山上ヶ岳は標高2000メートル級の険しい山。修験道の修行の場として古くからあり、今なお厳しい女人禁制の地としても知られています。
深い山の中、修験道の厳しい修行のさなかにふと出会った一本の山桜。
しみじみと心にしみいるような美しさであったことでしょう。
山桜って、平地に咲くソメイヨシノとは別の趣があります。
吉野の桜もなかなか比べるもののない美しさだけれど、行尊が見た大峰山の桜がどのようなものであったのか。
女人としてはおいそれと近づく訳にはいかない場所とはいえ、心ひかれるものがあります。
今年の札幌は、雪こそ昨年より少ないものの寒さが厳しい冬になっています。
桜の季節がとても待ち遠しい。今ふと一本の山桜に出会ったら、行尊ばりに花にぐいぐい思いを寄せてしまいそうです。
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