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【百人一首】吹からに(二十二・文屋康秀)
吹(ふく)からに秋の草木のしほるれば
むべ山風をあらしと云(いふ)らむ
(二十二・文屋康秀)
【解釈】
秋になり山から強い風が吹きおろすと、草木は見る間にしおれてしまう。
なるほど、だからこそ山風のことを嵐(荒らし)というのだな。
出典は古今集、巻第五 秋歌下 二四九。
作者は文屋康秀(ふんやのやすひで)。平安初期の人で、六歌仙のひとりに数えられています。
個人的には、子供のころにはあまり良さが分からなかった歌のひとつ。(ちなみに学校で行われるカルタ大会とか苦手でした。)
山から風が吹くと草木がしおれる。だから山風を嵐と言うのだろう。
えっ何の話?という感があったのです。言葉の由来に合点がいったからといって、それが良い歌なのかしら、と思っていました。
しかし最近になって、ようやく印象が変わってきました。
秋の、しみじみと少しもの寂しい、いわゆる「もののあはれ」的なものを感じ取るべき歌なのかもしれない、と気づいたのです。いや、常識だったらすみません。
そもそも秋の嵐、野分というのは平安の人たちにとって趣深いものとされていました。
清少納言も「台風の翌日ってめちゃくちゃ雰囲気あっていいよね」みたいなことを書いているし、源氏物語にも「野分」というなかなか奥深い巻があります。
嵐を巻き起こす自然のダイナミズムに、季節の移ろい。
大きな台風が去った後の、独特の間合い。言いようのない静けさや寂しさ。
そんないろいろが美しく切り取られ、閉じ込められた歌だったのですね。
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