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【百人一首】(心にも/六八 ・三条院)

心にもあらで此世(このよ)にながらへば恋しかるべきよはの月かな
(六八・三条院)

【解釈】

つらくてもう死んでしまいたいくらいだけれど、もし不本意にもこの世で長く生きてしまったら、いつの日かこの夜更けの月を恋しく思うのだろうか。

切ないのだけど、美しい歌です。

出典は後拾遺集 雑一 八六一。
作者は三条院(さんじょういん)。冷泉天皇の第二皇子にあたる人です。

若き当子内親王と藤原道雅の仲を引き裂いたひどい父親、というイメージが強かったのですが、三条院自身もなかなか激しい人生を送っています。

眼病を患っていたことなどを理由に藤原道長から譲位を迫られ、6年で譲位。42歳で死去しました。

月を眺めて物思いに沈むくらいであれば、眼病と言っても日常生活や政務に支障はなさそうです。道長は中宮彰子の息子(つまり自分の孫)を即位させるために、邪魔だった三条院を全力で追い出したのでしょう。

この世はすべて自分の思い通り、「望月の欠けたることもなしと思へば」なんて平気で詠んでしまう道長に追いやられる立場にあって、三条院の目に映ったのはどんな月だったのかな。

考えてみれば、当子内親王の恋人・藤原道雅は、藤原道長との権力闘争に敗れた藤原伊周の息子です。

政敵とつながっていると、また道長に何を言われるか分からないと三条院は考えたのかもしれません。全部道長のせい、っていう案件ですね。

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