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【百人一首】朝ぼらけ(三十一・坂上是則)
朝朗(あさぼらけ)有明の月と見るまでに
芳野(よしの)の里にふれる白雪
(三十一・坂上是則)
【解釈】
静かな朝がやってきて、ほの明るくなってきた。有明の月の月明かりかと見まごうほどに、吉野の里には白い雪が降っている。
出典は古今集、冬 三三二。
作者である坂上是則(さかのうえのこれのり)は三十六歌仙の1人。大和権少掾(やまとのごんのしょうじょう)などの役職についていました。
ちなみに歴史の教科書に出てくる征夷大将軍「坂上田村麻呂」の子孫にあたる人なのだそうです。
前回の壬生忠岑の歌についで、ふたたび出てきた有明の月。
とはいえここでは、雪が降り積もって白々とした早朝の明るさを、有明の月に例えています。
李白の代表作のひとつである詩「静夜思」の「牀前看月光 疑是地上霜」の影響があるとも。
芳野の里、は奈良県の吉野。
吉野と言えば桜、と私たちが連想しがちなのに対して、この歌が詠まれた平安前期には、まだ桜の名所としての顔はなかったと言われています。
むしろ吉野と言えば雪、という時代でした。
吉野の山を埋めつくす、現在のような桜の森の始まりは、修験道の開祖である役行者。山上ヶ岳にこもって修行する中で会得した蔵王権現を、桜の木に彫ったのです。
それ以来、吉野では桜は御神木と見なされ、多くの人が寄進するようになりました。吉野の桜は、信仰の証だったのですね。
くらくらするような美しさの吉野の桜。
まだそれがなかった頃の吉野山がいったいどんな姿だったのか、思いを馳せてみたくなる歌です。
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