【百人一首】山里は(二十八・源宗于朝臣)
山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人めもくさも かれぬとおもへば
(二十八・源宗于朝臣)
【解釈】
山里の冬は、どの季節よりも淋しさが際立つものだ。
そっと訪ねてくる人もなく、草だって枯れてしまうと思うと。
出典は古今集、冬 三一五。
作者である源宗于(みなもとのむねゆき)朝臣は三十六歌仙の一人です。
光孝天皇の孫ですが、皇族を離れ源姓を賜わりました。紀貫之とも交流があったようです。
光孝天皇とは百人一首・十五の作者です。君がために春の野に出て若菜を摘んでたら袖に雪がふってた、あの人ですね。
この歌は、是貞親王歌合で藤原興風によって詠まれたという
「秋くれば 虫とともにぞ なかれぬる 人も草葉も かれぬと思へば」の本歌取りと見られているのだそうです。
秋のもの悲しさをテーマにしていた本歌に対して、さらに季節が進んだ冬のわびしさを詠む。そんなところでしょうか。
何だか暗くて救いのない歌だな、と思ってしまうけれど、藤原定家の時代には好まれた雰囲気なのかもしれません。
個人的にはもう少しどこかに一筋の光がさすような明るさか、コミカルな何かがあると良いのに、と思います。
とはいえ実際に源宗于朝臣が都を離れ、わびしい山里で暮らしていた、という訳ではなく、あくまでもそんな山里の暮らしを想って詠んだとみる向きが強いのだそうです。
まさかの想像。
やっぱり何だかよくわからない歌です。
でも、雪とか霜とかそういうワードを一切出さずに、厳冬期の雰囲気を詠み切っているのはすごい。そんなふうに思います。
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