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【百人一首】(大江山/六〇・小式部内侍)

大江山いくのの道のとをければまだふみもみず天のはしだて
(六〇・小式部内侍)

【解釈】

母が暮らしている丹後の国は、はるか彼方。大江山を越える生野の道は遠すぎて、私はまだ天橋立の土を踏んだこともありませんし、母からの手紙なども決して見てはいないのですよ。

出典は「金葉集」雑上 五五〇。

作者は小式部内侍(こしきぶのないし)、和泉式部の娘です。
若い時から歌の名手だった小式部内侍は、あまりに上手いので母である和泉式部の代作ではないかと疑われるほどであったと言われています。

この歌は、和泉式部が夫の仕事の都合で丹後国へ赴いていたタイミングで詠まれたもの。
「歌会の作品はどうするのか、お母さんのいる丹後の国へ使いは送ったの?」と代作疑惑について藤原定頼にからかわれて、さらりと即興で返したものです。

技巧に長けてウイットのきいた歌をサクッと返すことで、間違いなく自分で歌を詠んでいるのだと証明して見せたということでしょう。

「いくの」は「行く」と「生野」、「ふみ」は母への「文」と土を「踏み」の掛け言葉、さらに「踏み」は「橋」の縁語にもなっています。
倒置で天の橋立という歌枕をさりげなく入れ、視覚的な美しさを感じさせてくれます。

日本三景はどれも美しいけれど、天橋立は空へ向かって伸びていく姿に独特のロマンがあるような気がします。歌の最後に持ってくると、いい余韻が生まれます。

藤原定家もこのテイストはかなり好きなようですね。

20代そこそこで亡くなってしまったとされる小式部内侍、長く生きていたらどんな作品をのこしてくれたのか。早世が惜しまれます。


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