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【百人一首】月みれば(二十三・大江千里)

月みれば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれ
我身ひとつの秋にはあらねど
(二十三・大江千里)

【解釈】

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秋の月を眺めていると、あれこれと心が千々に乱れて物悲しく、どこか寂しい気持ちになる。
私だけに来ている秋ではないのだけれど。

出典は古今集、巻四 秋上 一九三。
作者は大江千里(おおえのちさと)。生没年は不詳、平安初期の人で在原業平の甥にあたる人物です。文章博士(もんじょうはかせ)であり、漢詩の名手として知られています。

漢籍に造詣の深い人というだけあって、この歌も白居易の詩にある「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」というフレーズを受けたものなのだそうですね。

漢文の下地がありながら、ちゃんと和歌の趣。平安貴族感すごいです。

秋は誰にも訪れているはずなのに、何だか孤独で物悲しい。

「千」と「ひとつ」、「月」と「我が身」などの対比があざやかです。技巧的な完成度の高さがすばらしいけれど、おしつけがましさのなさが絶妙なんですよね。

レトリックに溺れることなく、秋のもの寂しさが実にさりげなく過不足なく詠みこまれている感じがすごくいいなと思います。

元ネタである白居易の歌にある「燕子楼」は、徐州にあったとされています。徐州は江蘇省の北西端あたり。項羽の都だったり劉邦の故郷があったり、三国時代にもいろいろあったりするようです。(ふんわり情報すみません)

江蘇省といえば蘇州・無錫あたりしか行ったことがないけれど、改めて地図を見ると広いんですね。自由に海外旅行に行けるようになったら、中国のあちこちを回るのもいいな、と思います。

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