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【徒然草】静かに思えば(第二十九段)

静かに思へば、万(よろづ)に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古(ほうご)など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足なども、心もなくて、変はらず、久しき、いとかなし。
徒然草 第二十九段

【解釈】

静かに思い返してみれば、何事につけ、過ぎ去った昔のことが恋しく思えて仕方がない。
人が寝静まった後、秋の夜長の暇にまかせて、何となく身の回りのものを整理する。残しておく必要のない古い文書などを破って捨てていると、すでに亡き人の書いた手紙がふと出てくる。ふざけて描いた絵が出てくる。当時に戻ったような気持ちになる。
今まだ生きている人の手紙であっても、ずいぶん昔のものであれば、これは一体いつのものかな、と考えるのも懐かしさで胸がいっぱいになる。時には、亡くなった人が使っていた道具などが出てくることもある。使っていた人はもうここにはいないけれど、ものは当時のままずっと残っている。そういうものを見るのはとても切ない。

「静かに思へば」という始まりがとても美しい段。リズミカルで無駄がなくて、名文です。

高校生の古典の教材などでもよく使われているのだそうですね。
でもこんなのあったかなという感じで、まったく覚えていませんでした。

大学時代などにも読んでいそうな気はするのだけれど。

ただ、この静かな美しさや切なさは、若い時には読んでも分からなかったのかもしれないな、とも思います。

親しい人、身近な人をなくすという経験も、年を重ねるごとに増えていきます。40歳も過ぎた今となっては、兼好の言ってること、めっちゃわかる!って言えるのです。

キメ顔の写真やオフィシャルな何かではなく、ちょっとしたメモ書きとか、高価ではないプレゼントとか、SNSに上がっている何気ない写真とか、今ならそんな感じでしょうか。

あの頃に戻りたい、とまでは思わないけれど、ふとした時に思い出す。
そういう切なさや恋しさって、誰にでも身に覚えがあるのではないかしら。

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