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【百人一首】由良のとを(四十六・曾禰好忠)
由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛(ゆくへ)もしらぬ恋のみちかな
(四十六・曾禰好忠)
【解釈】
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由良の海を渡る船人が舵をなくして途方に暮れているように、私の恋の行く末も、どうしたら良いものかまったく分からないのだ。
出典は新古今集 恋歌一 一〇七一。
縁語を多用し、激しい情景を詠んでいるようでいて、どこかふわふわとした空気感。新古今らしいというか、定家好みというか、そんな歌です。
「由良のと」というのが一体どこなのか。
紀伊(和歌山)の由良の御崎とする説と、宮津(京都)の由良川の河口とする説があります。新古今集の時代には、紀伊の由良が波の荒い場所としてよく知られていたようです。
そして、行方も知らぬ恋の道、とは。
思い人にふりむいてもらえない片思いなのか、道ならぬ恋に落ちてしまって困っているのか、それとも思いがけず恋しい人を失ってしまったのか。
作者である曾禰好忠(そねのよしただ)は平安中期の歌人、生没年は未詳です。
長らく丹後国の役人をつとめていました。契沖あたりが推している「由良のと=宮津説」は、好忠が丹後国に住んでいたことを重視したのでしょう。
歌には類まれな才能がありながら、性格にクセがあって偏屈な人だったとも言われています。
そんな彼が思い悩んだ恋って、どんなものだったのかな。
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