【百人一首】(見せばやな/九〇・殷富門院大輔)
【解釈】
若い時には今ひとつ良さが分からなかった歌のひとつです。
出典は「千載集」恋四 八八四 。歌合せの席で恋の歌として詠まれたものとされています。
作者は殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。
平安末期を生きた女性で、後白河院の皇女である殷富門院に仕えました。当時を代表する歌人だったと言われています。
さて、味わうためには、一定の教養が必要なタイプの歌です。
そもそも、これは平安中期の歌人である源重之の歌
の本歌取り。殷富門院大輔や藤原定家の時代には、本歌取りが流行っていたようです。
そして袖の色とは。
つらい恋で血の涙を流すだなんて、そんなやつおらんでと10代の頃は思っていたのですが、元ネタは中国の故事にあるようですね。涙が枯れるまで泣いて血のにじむようなつらい思いをすることを「紅涙」と表したようです。
このあたり、10代の頃にはまったく知りませんでした。
松島の海人とか急に出てくるし、いきなり血の涙なんて言われても今ひとつピンと来ないし、大袈裟だし何ならちょっとホラーやんと思っていたのは、無知ゆえに理解が追いついていなかっただけのようです。
200年近く前に詠まれた、名の知られた歌へのアンサーソング。
確かな教養も感じさせつつ「それでも私の方が好きだもん」と、ちょっとすねているようなかわいらしさもあります。
今改めて読んでみると、なかなか味わいのある歌なのです。
知識が増えたからというだけでなく、自分自身が人生経験を重ねてようやく、作品の深みが少し理解できるようになったのかな。
四半世紀ぶりに読み返すと良さが分かる。
こういうことがあるから、文学はやめられません。
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