【百人一首】嘆きつつ(五三・右大将道綱母)
【解釈】
出典は拾遺集 恋四 九一二。
作者は「蜻蛉(かげろう)日記」の作者でもある右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)です。
美人で和歌もうまくモテモテだった彼女。一番熱心にプロポーズしてくれた藤原兼家と結婚してみたら、実は完全に俺様系のモテ男だった。そんなあまり幸せでない結婚生活を重めに綴ったのが蜻蛉日記です。
蜻蛉日記は日記文学の最高峰と言われることもありますが、何だか重いし暗いし愚痴っぽい。
時代背景を考えればそんなものなのかもしれないけれど、ちょっとめんどくさい人だったのかな、なんて思ってしまいます。個人的には姪にあたる菅原孝標女が書いた「更級日記」のほうが好みかな。
まあそれはともかく、この歌。現代語訳がなくともすんなり理解できる表現です。
ちなみに歌の背景は二種類あって、「兼家が訪ねてきた時に門前でしばらく待たせていた。待ちくたびれたよ、と言われて詠んだ」とするのが拾遺集。
蜻蛉日記では「新しい彼女に夢中の兼家が気まぐれにやってきたけれど、門を決して開けようとはせずに明け方になって詠んだ」というストーリーになっています。
歌の言い回しは雅で美しい響きがありますが、つれない相手をわりとストレートになじるものです。
恋しい人がいるのに一人寝なんて淋しい。大人の歌だけど、共感できる人は多いでしょう。
男女の仲というのは、いつの時代もちょっとめんどくさいものなのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?