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【短編小説】蝉時雨

晩夏の夕、蝉時雨はより一層激しく大地に響く。
花も雑草も想定外の酷暑にやられて、その命をまっとうできずに枯れ朽ちていくような無情さを京香は感じていた。
自分の膝枕でごろ寝する男を団扇で静かに扇ぎながら、時々耳に届く風鈴の涼やかな音に心を傾けていた。

真夏の滾るほどの熱い想いは、居座る酷暑を尻目に、自分でも躊躇するほど急速にさめていった。
移ろう色さえ失い枯れていく紫陽花のように、移ろいゆく先もなきままにどうしようもなく想いが色褪せてゆく。
京香は自分の膝で気持ち良さそうに眠る男を冷めた目で見つめて息を吐いた。
蝉は命を謳歌しようと懸命に鳴いている。
この刹那の幸福のために、蝉は土のなかで何十年も耐え続ける。
京香はこの男を何十年も密かに慕い続けてきた。
男が妻と別れた事を知り、京香は長年募らせてきた想いを男に告げる事を決意した。
男はあっさりと京香を受け入れた。
京香が拍子抜けするほどに………。
しばらくは京香も夢見心地だった。
それはそうだ。長年慕い続けてきた想いびととの恋が成就したのだから。
真夏の眩し過ぎる太陽のように、京香の表情は幸福に包まれて輝いていた。
初夏に告げ、真夏に情火と燃え盛り、そして祭りのあとの静けさの如くに暮れゆく慕情。

私はこの恋を謳歌したんだろうか。
京香は自問自答を繰り返していた。
嫌いになったわけじゃない。
ただ褪めただけ………。
あの頃の情熱はもうない、と京香は暮れゆく夏に自分の慕情を重ねていた。
夕風に揺れて風鈴がなく。
侘しき音色が痛く沁みる。
京香のさめゆく想いと裏腹に、猛暑はいつまでも夏に縋り続ける。
あぁ……せめて猛暑が去るまでは。
どうか夢見のままで。

蝉時雨がじりじり焦げつき痛い。
京香は蝉たちに自分の薄情さを責められているようで、後ろめたさを感じずにいられなかった。






蝉時雨命を謳歌する如く
幸をうたいて刹那いきゆく

蝉時雨其の恋謳歌できたかと
さめゆく慕情を咎め鳴かんや

ー完ー




















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