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田舎の人は器用な人が多い理由

百姓は百の仕事が出来るから百姓というそうですが、百姓がいるのは田舎であり、田舎というのは助け合いながら、自立自助の暮らしを強いられるわけで、農業だけをしていれば良いかというとそうではない。

私も離島で仕事をしながら感じるのは、例えば、都会と田舎ではホームページを作ることでも、その違いがわかる。都会ではディレクターがいて、デザイナーがいて、プログラマーがいて、コーディングする人がいてとそれぞれ専門分野の人がいる。(企業によるけど)田舎ではそれを、一人で全部こなさなければいけないし、それが求められてしまう。
図らずも器用になっていくのである。もちろん、出来る出来ないはあるけど、自助努力によりなんとか洗練されてはいなくとも、形には出来るというところまでやってしまう。(人によるけど)要は選択肢が少ない故に、自らがその選択肢になってしまうということが起きるのである。

マルチな人材というのは、広く浅くになりがちだが、田舎にいると時間の使い方が都会と違うので、広くそこそこ深くという人材が育つ。では、都会と何が違うのかというと、住むところから仕事場までの移動時間が短い、割とゆったりとした仕事環境が多いので、電話や打ち合わせなどに時間を割くことがなく、仕事に没頭出来る。環境がいいのでゆっくり休めたり、気分転換出来るのも仕事への活力となっていると思う。ただ、残念なのは都会のようにプロ集団の中で切磋琢磨することがなく、伸び悩んでしまう点や、身近に専門的なことを相談出来る相手がいないことである。

ただよろしくないのが、価格の低いこと。器用な人が多いので、無料で請け負ったり、趣味の範囲で安請け合いしたりする人がいて、その地域での相場が崩壊しがち。これはどの地域でも起こっていることだと思う。
また、なんでも器用にこなす人というのは、ワンマンタイプで誰かに頼るよりも自分でやってしまうので、教え方が下手という割合が高い。(人によるけど)なので、その地域での人材育成が遅れる。田舎の後継者不足というのは、おそらくこのワンマンタイプで教えるのが下手、もしくはその方が器用すぎて後継者がそのスキルを担いきれないことに問題があるのかもしれない。

田舎の行政マンなどは都会の方が洗練された仕事をするからと、都会に丸投げ発注することが多々ある。確かに田舎よりも都会の方が洗練された仕事をする企業が多いのだが、仕事量が多いのでプレゼンも上手であり、能力がないのに能力以上に魅せるのも上手な企業も多い。事実それで痛手を負った行政は数知れず存在すると思うが、どうだろう。
都会の洗練された仕事を田舎のクリエイターたちと協働することにより、田舎にそのノウハウが蓄積され人が育つ。そんな仕事を発注することが、今後の課題になってくるのではないだろうか。田舎の人は器用な人が多いから、きっとそのノウハウを学び人が育つと思う。そう信じたい。


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