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海に浮かぶ、失敗して海水を飲む

 先月、はじめて沖縄へ行った。いかんせん一度も行ったことがないので、なんとなく聞いたことがある場所になんとなく行った旅行だった。二泊三日。沖縄は梅雨が明けている。歩くたびに紫外線がビシバシ差し込んで、かつ湿気がムワッと高い。白シャツとスラックス、スニーカーというファッションで一日目を過ごしたが、あまりの暑さに耐えられず国際通りのドンキで購入したアロハシャツと水陸両用ハーフパンツ、サンダルで二日目以降を過ごした。

 二日目「クリード西原マリンパーク」というビーチに行った。何故ここのビーチを選んだかというと、人が少なそうだしレンタカーの返却時間と照らし合わせると、あまり那覇市からは離れられなかったからだ。

 ぼくは全く泳げない。幼稚園の頃、スイミングスクールに通わされていた。小学校にあがったらプールの授業があるから、そこで泳げなかったら色々と不便だろうという親の心遣いで通うことになったんだろうと思う。スクールの日、プールの縁を掴んで顔を水につけながら、バタ足をしていたときに「ぼくは別に泳ぎたくない」「じゃあなんでこんなことしているんだろう?」と子どもながらに疑問をもった。そして疑問をもった瞬間に息が続かなくなって、鼻から塩素臭い水が入って、鼻の奥がツーンとなった。その日のうちに親に「プールやめたい」と告げた。ぼくが親に自分の意思をハッキリ伝えるのは珍しいから、よっぽどスイミングスクールをやめたかったのだろう。
 まあとにかく、それ以来ぼくは小学校六年間の授業でも泳げるようになることはなかった。中学はプールの授業がなくて高校はプールの授業がないところを選んで受験した。

 大人になった今でもカナヅチなのだが去年あたりから泳げるようになりたいなあとぼんやりと考えはじめた。海で泳げたら随分気持ちいいだろうなあと。海に行ったことはあるし入ったこともあるのだが、膝のあたりが浸かるくらいまでしかはいったことがない。なんで「海で泳ぎたい」なんてらしくないことを思い始めたのか、考えてみたのだが去年佐渡島に行ったのがきっかけの一つになったんじゃないかと思う。

 佐渡島の海に海パン一丁の外国人三人組がいた。一人の外国人は脚が不自由なようで、車椅子を使用していた。ぼんやり海を眺めつつ、彼らに目をやると二人が脚が不自由な彼を脇で抱えて三人で海に入っていった。三人は肩まで浸かるくらいの深さまで海を歩いていって、時折笑い声が聞こえた。いいなあと思った。

 それからも何度か海に行ったのだが、せいぜい膝くらいまで入ってバシャバシャとやるくらいのものだ。もっとバシャーン!と肩まで入ってみたいなあと指を咥えていた。泳げないしなあと諦めていた。

 話が逸れてしまったが沖縄に戻る。「クリード西原マリンパーク」に戻る。ぼくはビーチに着くやいなや服を脱いで海に近づく。かなり緊張していた。肩まで水に浸かるのはお風呂を除いたら小学校のプール以来だ。溺れたらどうしようとかクラゲに刺されたらどうしようとか不安が巡った。でも勇気を出して入ってみた。水の中は生暖かい。いつまでも入っていられそうだ。プールの授業のときは塩素の匂いを嗅いだだけで憂鬱な気分になったが、今は違う。前日にYouTubeで背泳ぎの仕方を見ておいたから、それを真似てやってみることにした。ぼくはけのびもできないしなるべく潜りたくないから、背泳ぎならできると思ったのだ。でも人生で水に浮いたことは一度もない。力を抜いて、力を抜いて…自分に言い聞かせてふわっと足を地面から離した。すると五秒くらいの短い時間だったけど、たしかにぼくの身体は浮いていたのだった。成功した!本当に嬉しかった。もっと嬉しかったのは溺れたときのことだ。浮いたのが嬉しくて調子に乗って何度も何度も「浮きチャレンジ」をしていたのだが、バランス(?)を崩して溺れてしまったときがあった。鼻や口の中に海水が入ってきた。塩っぱかった。でも海水を飲んだことなど今まで一度もなかった。本当に海水は塩っぱいんだと当たり前のことを思った。その当たり前のことを自分の身をもって感じられるのが嬉しかった。

 はじめて海に全身で浸かって、海水を飲んだこと。これは先月の沖縄旅行で印象深かったことのひとつである。

緊張のせいか指が入り込んでしまったビーチ

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