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#49「○○のカイブツ」


番組を聴き始めたのが2016年の秋くらいだから、もうその頃にはツチヤさんは番組を離れていたと思う。

「笑いのカイブツ」が出版されたのが2017年の2月、オードリーのラジオを聴き始めて自分の中の熱量がマックスだった時期に、ツチヤさんの衝撃的な過去を知ることになる。


当時の自分は、約1年後に迫り来る受験に対して徐々に不安が募り始め、高校(自称進学校)に入った時から勉強ばかりで他に何も打ち込んでこなかったため、あらゆることに飽きてしまっていた。

そのため、くだらない話で2時間も盛り上がる深夜ラジオというのが新鮮で仕方なかった。
はじめてナイナイ岡村さんの番組に送ったネタハガキが採用されて、自分には笑いのセンスと才能があるのではないかと錯覚していた。

そんな時に触れた「笑いのカイブツ」は社会の現実を突きつけられるも、ツチヤさんよりもまだ社会性があると思った自分を勇気づけるものだった。



あれから7年、映画「笑いのカイブツ」を観た。
改めて、自分のような人間には計り知れないほどの情熱と苦悩が詰まっていると思った。


誰かが作った常識になんで潰されなあかんねん

この予告動画にもあるセリフが刺さった。
世の中の誰かが作った常識と自分が合わないという葛藤だと思うが、自分は常識にハマりたくないと思っているくせに、日頃生きていると常識ばかりに囚われて自然と平凡な選択しかしていないことにがっかりして、常識に頭を蝕まれている気がする。

社会においてやっぱり大事なのは、何事もなく平和に穏便に日々を過ごすこと。特に人間関係を拗らせないように、大抵の人間は周囲に対していい顔をする。そこからはみ出す者は周囲の目に留まりつまみ出される。

#48「2023→2024」

以前自分で書いたことが最近妙に突き刺さる。

仕事上での愚痴、後輩の言動に対する不信、
これら全ては、自分が囚われている“常識”からはみ出していると思った時に、他者に対して感じる違和感である。

ハラスメントに厳しい昨今、後輩に対して思うことがあった時、それを本人に伝えることが妥当かどうか、毎度悩んでしまう。

「本人のためを思って」と伝えることが多いが、果たしてそれが本当に相手のためを思っているのか。
自分の理想や不満を押し付けてスッキリしたいだけではないのか。


自分が思っている以上に他人に興味があって、必要以上に周囲に踏み込んでしまう自分は一種の“カイブツ”なのかもしれない。




「リトルトゥース」という元・隠語


話を少し戻す。

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」が1ヶ月後に迫っている。ありきたりな言葉だが、開催が発表された時にはまだ先のことだと思っていたのに、もうすぐそこに迫っていると思うとソワソワしてくる。

10周年の武道館ライブに参加した際、同じものを好きな1万人以上の人間がそこにいて、日頃好きでいるものを同じ空間で共有している時間が心地よかった。当時、田舎で生きていた自分にとって、周りにリトルトゥースなんていないし、むしろ深夜ラジオを好きであることを変なものでも見るかのような目で見られていた。

そのため「リトルトゥース」という秘密の特権を持って、武道館ライブの日だけはそれをみんなで誇りとして共有できていることがとても嬉しかった。

確かライブ中に若林さんが、「お前ら普段は息を潜めて生きているんだから」みたいなことをおっしゃっていたが、それが何よりの褒め言葉だった。



あれから約5年、オードリーの冠番組は増え、コロナ禍においてラジオというメディアに再び注目が集まる中で、「オードリーのオールナイトニッポン」に出会う人が増えた。

自分自身も就職を機に東京へ出て、今まででは考えられない数の人と出会うようになった。
好きなものの話になると、「ラジオ」「オードリー」というキーワードを出さざるを得ない。すると、ラジオが人気なことを知っている人や、自分もリトルトゥースであるという人があらわれるようになった。

それは素直に嬉しかった。

ただ、「リトルトゥース」にもいろいろなタイプの人がいて、自分とは比べ物にならないくらい根が明るくて社交性がある人もいたり、ネット上ではリトルトゥース同士オフ会みたいなことをして盛り上がったりしている人も見かける。

自分にはそんな人たちが「リトルトゥース」とは思えなくて、現実世界でリトルトゥースを自称する人と出会った時の嬉しさがだんだんと薄れていることに気づいた。

そして、自分も目の前にいるリトルトゥースからどう思われているのかが気になってしまい、お互いがリトルトゥースだと分かった瞬間から、俗に言う”ハスってる”状態になってしまう。


東京ドームライブが決まってからというもの、宣伝Tシャツを着ている人をほぼ毎日と言っていいくらい見かけるようになった。

当時、4万人を越えるドームのキャパが埋まらないのではないかと危惧していたオードリーさんやチーム付け焼き刃のみなさんのために、リトルトゥースとして何か力になりたいと思った人たちの行動は素晴らしいと思う。

その効果というか、もともとそんなことも必要なかったと言えるほどの応募が殺到し、東京ドームのチケットは争奪戦になった。

19万人のうちの1人として、ありがたいことに1次先行でチケットをいただくことができた。

1次先行の当落発表直後もそうだったが、先行を重ねるごとにSNS上で見かける当落に一喜一憂する人たちや、当たらなかった人に同情する人たち、それを俯瞰で捉えて分析する人たち、どれも正直見ていられなかった。




ご縁を頼りにしたい2024年


ただのファンなのに、オードリーさんには本当にご縁があると感じている。
そのおかげでこうして今日まで生きてこられている。

辛いとき、苦しいときに当時のことを思い返して、なんとか持ちこたえている。本当にありがたい。

ラジオを聴くようになってから夢ができて、
学生時代にある意味その夢は叶ってしまったが、
さらなる大きな目標ができて東京へ飛び出し、
でもいろいろあってその夢を諦めかけて今に至る。

これが当たり前じゃないとわかっていても、「リトルトゥース」に対して不信感を覚え、どこかでマウントを取ろうとしている自分がいる。本当に情けない。

そして、自分にとって刺激的なイベントがまた起こらないかと期待してしまう。

東京ドームのライブだってそうだし、チャンスは自分で頑張って掴みに行けばいいとも思う。そのために「笑いのカイブツ」を観たのではないか。

あまり気負いすぎても良くないが、のんびりと、でも情熱を持って、リトルトゥースを貫いていきたいと思う。

自分で言うのもおこがましくて恥ずかしいが、annkwが生み出した自分というカイブツともっと上手く付き合っていく2024年にしたい。


P.S.

体調を崩してしまい、行く予定だったオールナイトライブのチケットを泣く泣くリセールに出した。

そんなこともあって時間ができたため、モヤモヤしていた事をいつもの如く書き殴ってしまった。


意味のない夜って、贅沢だ。


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