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初めてのOD体験 ~コデイン~

 プロローグ

 時は西暦201X年秋まで遡る。当時私は高校2年生、地方の進学校に通う一見普通の男子高校生だった。毎日学校に行き、放課後は部活に明け暮れ、家に帰れば大量の課題をこなす。そんな毎日が続いていた……

 少し周囲との違いがあったとするならばラッパーやロッカーに憧れ、彼らが使用していたドラッグ、そしてドラッグカルチャーに惹かれていったことだろう。あの日の体験がなければ今の私は存在しない。今から語る話は私がジャンキーになる第一歩のお話。

こでいん・くれいじー

 ~Co~deine~Cra~zy~Co~deine~Cra~zy~
 脳が犯され、身体が溶ける幸せな音。紫が特徴的な美しく心惹かれるMV。ところどころ掠れたセクシーな声。約6分間の世界に私は夢中だった。

ーFuture - Codeine Crazyー 知る人ぞ知る名曲だ

 ”Codeine”・・・コデイン、別名メチルモルヒネ。1832年に仏の薬学者ピエール=ジャン・ロビケによりアヘンから単離されて発見された。プロドラッグであり、代謝産物の約10%がモルヒネになる。世界中で咳止め薬や風邪薬に使われるオピオイドである。

 私は音楽の世界に引き込まれていくと同時に、コデインの底なし沼に片足を突っ込んでいたのであった。ドラッグストアで簡単に手に入るただの咳止め薬から魅力的なドラッグへと私の認識は変化していった…

紫の海

 とある日、私は我慢の限界に達した。
「人生何事も経験や。リーンを飲んでコデインの世界へ。」自身の心の声が聞こえた。

 ”Lean”・・・リーン(パープルドリンク、シザープとも呼ばれる)米南部発祥のストリートドラッグ。咳止めシロップをサイダーで割った紫のカクテル(アメリカではアルコールやハードキャンディが混ぜられることが多い)
よくラッパーたちがMVで飲んでるやつ。

 やりたいことは取り敢えずやってみる。それが$AD流。いざ紫の海へ、ラッパーたちと同じ境地へ、私は船出に向け準備を始めた。

 その日部活が休みだった私は放課後、学校の近くにあるドラ〇リ(九州人おなじみ某ドラッグストア)で咳止めシロップとスプライトを購入。そのまま家に帰ることにした。ソワソワ、ゾクゾク、ソワソワ、ゾクゾク、興奮を抑えながら。

船出、そして海底へ

 電車に揺られ帰宅し、家族には”勉強する”と伝え自室へ。赤い派手なバックパックからシロップとスプライトを取り出す。「プシュゥゥゥ」スプライトを開け3,4口ほどゴクゴク飲む。レモンライム風味の砂糖水を堪能した後、シロップの瓶を開けた。

 飲みかけのスプライトにシロップを注ぎだす。そこで想定外の事態が起きた。
 「色が!色が紫じゃねぇ!」
 完成したリーンは鮮やかな紫ではなくコーラのような褐色だった。日本で売られてる咳止めシロップでは紫にならないことを理解させられた。数年後私は紫のインポートリーンにありつけるのだがそれはまた別のお話。

 まあせっかく作ったんだし飲むしかない。船出の時、いざ紫(正確には褐色なのだが)の海へ。更に甘ったるくなった液体をゴクゴク飲みだした。

 ー数十分後ー

 「あぁ、溶ける!身体が脳が、溶けていく!」
 それは航海というものではなかった。海底へ、底へ底へと沈んでいく感覚。沈んでいるのに海に浮かんでいるかのような浮遊感。まるでタイタニックにでもなった気分だった。視界が少しじんわりしてくる。音楽の重低音が身体に直接響いてくる。ポカポカと体は温まり、多幸感と音の波に包まれる。

 そんな時間が数時間続いたのち、気付いたら寝てしまっていた。目覚めたらもう日が昇っていた。コデインにょる快楽の時間を惜しみながらも私はまた退屈な日常へと戻っていくのだった。

エピローグ

 高校二年、多くの人間が勉強、部活、恋愛、遊びに没頭していく時期にドラッグに惹かれその一歩を踏み出した私の選択は正しかったのか間違っていたのか、まだ分からない。少なくとも後悔はしていない。あの日の私が今の私に繋がっていることは明らかだからだ。あの日の体験以降、私はドラッグの世界にのめり込んでいき多くのことを得て、多くのことを失うことになるのだが、それはまた別の機会に話そう。

注意

※この話はフィクションです
※この作品は違法薬物や薬物乱用を推奨するものではありません
※最後まで読んでいただきありがとうございました

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