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こころが動かない

こんにちは。仙骨です。

そういえば、退院しました。一年間にわたる入院だったので本当に長く感じました。ようやく病院を脱出し、一段落着いたところでこの記事を書いています。

さて、今回はタイトルのようにこころが動かないことについて少し整理してみたいと思います。
こころ―感情が動かないとは一体どういうことか。

まず考えられるのは、離人感でしょうか。
離人感とは、自分の身体、または精神が自分から離れたように感じることです。離人症とよばれ、解離性障害の一種とされています。
離人症の特徴としては、非現実感と感情の疎隔です。私の場合、感情が動かない(感情が身体から切り離されている)ので、後者である感情の疎隔が前面に出ているのだと考えています。
解離自体がこころを守るための防衛機制なので、今の私は感情を切り離すことで現実での対処しきれない出来事からこころを守っていることになります。

ここまでを思考し、文章として外在化することはできるのですが、肝心の「現実での対処しきれない出来事」に思い当たる節はないのが現状です。
おそらく、それが何かわかってしまうとこころが耐え切れなくなってしまうので意識から切り離されているのかもしれません。推測の域を出ませんが…

これって結構つらいんですよね。
何をしても感情の動きがみられない、押しても引いても無理、じゃあもうどうすればいいのか。
つらくないように感情を切り離しているんだから、実際つらくないんじゃないのか――そう思われる方っていらっしゃるのではないかと思います。
ところが。何も感じないとそれはそれで問題が出てくるんです。


たとえば、問題の一つ目を挙げると、まず対人関係で支障が出てきます。コミュニケーションにおいて感情表現は非常に重要です。しかし何を話していても自分は本心では何も感じてないわけなので求められる感情を演技して表現するしかなくなります。そうでないと不自然なので、そうするしかありません。

二つ目は、自分の求めているものがわからなくなります。
何かを選ぶ際に、たとえば食べたいものや欲しいもの、やりたいことが選びにくくなります。何を選ぼうとも何も感じないので、本当は自分は何がいいのかわかりません。結果、状況や他者に流されてしまうことになります。

このように、感情が切り離されるのはこころを守ることができるというメリットだけでなくデメリットも存在します。


少しだけ細かいことに触れると、定型発達の人と発達障害のある人とでは感情の認識の仕方に違いがあったりします。私(ASD)の場合、脳の仕組みからして感情を認識しづらいのですが、感情はあるにはあります。存在はしてるので、刺激によっては何らかのものを感じはします。

ただ、離人感があると元々感じにくい感情が更に感じられなくなります。
ある意味フラットな状態ともいえるかもしれません。



こんな感じで、こころが動かないのっていろんな場面で支障を来します。
問題点以外にもベースとして言いようのない苦痛があるのですが、これもうまく表現ができません。

はやくストレス源を特定して、取り除きたいものです。

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