あなたしか書けないの
私は思い出よ。
初老の塾講師が、母を看取ってから、次々と脳裏に浮かべている思い出なの。
私は朗らかで溌溂とする。
時には言い争ったり、険悪な雰囲気で悲しく切なかったりもしたけれど、今では紫色の淡い光に包まれて、とても朗らかだわ。
おかしいかしら。
切なくて朗らかなんて──
☆☆☆
こんにちは!
フジミドリです♡
11月19日、母が他界致しました。お心遣い下さった皆様、改めて御礼申し上げます。
今日の私物語は【2024年の世界恐慌】という題名を予定しておりました。概ね書き上げていたのです。
とはいえ、妙な違和感はございました。読み直す度、これでいいかと疑念が湧くのです。ようやく腑に落ちました。
書くべきは決まっていたのです──
☆☆☆
『思ったより静かだな』
初老の塾講師はそう呟くの。
『父さん母さん、オレがミドリを看取った後でも、よく話しているなんて言うと、困ったような顔していたっけ』
彼としては、心配させまいと気遣ったのが、かえって不安にさせちゃった。
『死んでも自分は在る。そうわかったら、母さん混乱するだろうと思ったけど、寝たきりの間に備えていたんだね』
それもまた私
今では懐かしい
☆☆☆
『母さんは生き抜いたよ』
ベッドでプリンを食べる母。看護師の差し出す一匙毎に、目は閉じたままで律儀に口を動かしつつ咀嚼する。
ただ咀嚼する──
くすんだ色のプリンが、不味そうな感じで、彼は何とも言えない気分になったものよ。
私が、その情景を映し出す。
慈しみと哀れみ、切なさと優しさ、会えて喜び、別離を悟り悲しく、悔悟と愛と感謝。
そうした思いは
入り乱れて私を覆う
☆☆☆
最後に病院を訪ねた時、鼻に吸入器を刺してベッドで横たわり、目が閉じたままの母。
彼は脇へ置かれた椅子に腰を下ろす。
『母さん──』
呼び掛けに応えるような一瞬。瞼が開きかかった。彼は悟る。わかっているんだな。
『会いに来たよ。あなたの息子が』
母の顔を見つめ、彼が心で私を語る。母と子の今に至るまでを。私は浮かんで消え、また浮かぶ。
☆☆☆
一枚の白黒写真──
幼子を間に若い男女二人。弾ける声まで聞こえるような満面の笑み、朗らかに。子を成した喜びが溢れている。
父と母と
息子
☆☆☆
─別れを悟り声を殺して泣く。込み上げる涙は瞬いて抑える。溢れ出る慟哭を呑み込む。カーテンで仕切られたベッドの周りに、微かな嗚咽だけが響く─
☆☆☆
幼子はやがて少年から青年へ時を辿る。
伴侶を得、そして失う。
『母さんは、ただ聴いてくれたね』
私が、困ったような母の顔を映し出す。
『覚えてるかい。オレがミドリを看取る少し前、急に眠くなって寝ちゃったんだ。なんで寝たのかな。そう言ったよね』
答えが出せず、やるせない思いを抱えたままで、彼は火葬の日に臨む。
☆☆☆
夏の台風が耳障りに唸った
降りしきる気疎い雨は
壁一面のガラス窓へ叩きつけていく──
待つ間、集まった親族の静かな昼食。テーブルを挟み、彼の向かいに父と母が座る。その隣りは叔母。彼が震え声で叔母に話す。
『……オレ、寝ちゃったんだよ……』
「あらそれはね、ミドリさんが一番苦しい時を、一番大切な人に見せたくなかったの」
その途端に、壁一面の窓から陽が差したわ。ついさっきまでの雨風なんて嘘みたい。
「おいおい。晴れちまったぜ!」
☆☆☆
『父さんの驚いた声、思い出すよ。叔母さん言ってた。あの時、オレの心が晴れたから、ミドリも喜んでるって』
私は母の涙声を蘇らせた。
─ありがとね。この子が嘆くの。なんでオレ寝たんだろうって。でも、あたし何も言ってあげられなくて─
『母さんはいつもそうだったよ。オレの話をただ聴いてくれた。何も言えないのは、オレの心と一つになってくれたからだね』
私は映し出す。物語の筋を辿る少年。浅薄な知識で得意げな若者。人づき合いに苦悩する青年。ただ聴き入る母。
☆☆☆
そして、あの朝──
夜明け前、彼は母の夢を見たわ。
淡い紫色に包まれた朗らかな笑顔を。
だから、覚悟できていたの。
昼過ぎに妹からメールで他界を知る。
彼が両手を組み、母さんありがとう、繰り返す。絞り出す声は部屋の空気を震わせ、込み上げる思いが空の彼方へ流れ散る。
ハッとして急いで右手を挙げた。彼は掌から波動を流せるのね。でも、何かがやんわりと押し留めたわ。
動揺した彼が、道術の真言を唱えようと構える。やっぱりこれも、静かに封じられた。
─いいのよ。何もいらないわ
☆☆☆
懐かしい声に彼は茫然とした。
─あなたが呼んでくれたら、それでいいの
彼は涙を呑み込み、ようやく悟る。
『ああそうか。そういうことか』
私は、彼がこれまで身につけた知識や知恵や言葉や形式を散りばめ、それから消えた。
『ありがとうと言えば照れちゃう。愛なんて言葉、恥ずかしくなる人だもんな』
☆☆☆
『母さん──』
☆☆☆
『あなたは成し遂げた』
彼がそう囁く。厳かな響き静かに。自分の声であるはずなのに、そう聞こえない。
ちょうどあの朝、短い眠りから覚め、息浅くなった伴侶へ告げる言葉のように。
─何も心配いらないよ
安心して逝っていいからね─
私の声に彼の囁きは続く。
『すべての母に言う。あなたは子を宿して成し遂げた。すべての子に言う。あなたは母に宿って成し遂げた。それでよし』
ああ、いいわ
私は広がっていく
空の彼方へと
どこまでも
そして
また
いつかどこかで──
☆☆☆
お読み頂きありがとうございます!
次回の私物語は12月11日午後3時です。
いよいよシーズン2が完結致します。
明日午後6時西遊記で創作談話♡
ではまた💚
ありがとうございます🎊