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夏の美術鑑賞 東京遠征 展覧会の感想

本来は前のエントリーの続きを書くべきなのですが、とりあえず脇に置いておきまして、昨日まで行っていた東京・神奈川の展覧会の感想を書きます。
一部、京都の展覧会もあります。

総論でいうと、ちょっと物足りない内容でしたね。期待外れの展覧会が過半数でした。小規模な展覧会ならまだしも、入場料が2000円前後もする展覧会で不満の残る内容のものがいくらかありました。観客が減るから値上げをするのは理解できますが、それならば満足度を高める工夫が必要です。

それでは、以下のラインナップで紹介します。
① 神奈川県立近代美術館葉山館 『アレック・ソスGathered Leaves』
② 東京都写真美術館 『メメント・モリと写真 死は何を照らし出すのか』
③ 東京都写真美術館 『イメージ・メイキングを分解する』
※『アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真』は図録購入済のため、パス
④ パナソニック汐留美術館 『キース・ヴァン・ドンゲン展』
⑤ ワタリウム美術館 『鈴木大拙展 Life=Zen=Art』
⑥ 国立新美術館 『国立新美術館開館15周年記念 李禹煥』
※『ルートヴィヒ美術館展』は図録購入済のため、パス
⑦ 森美術館 『地球がまわる音を聴く』

美術ファンの方からすると、「千葉市美術館『とある美術館の夏休み』が入っていないじゃないか!」と苦情が入るかもしれません。私も行きたかったのですが、日程の都合で入れられませんでした。ご了承ください。

それはともかく、レビューを始めます。

① 神奈川県立近代美術館葉山館 『アレック・ソスGathered Leaves』

アメリカの著名な写真家、アレック・ソスの展覧会。5つの写真集に収録されていた作品を再構成して展示しています。展覧会向けに代表作を網羅的に並べるという見せ方はしていません(代表作と呼べそうな写真はいくつかありましたが)。絵画の展覧会とは別の見方が必要です。
写真家は写真集を売ってナンボですので、写真家自身が展示に関わると、作家ではなく写真集が中心の構成になるのは当然なのです。そこを踏まえて鑑賞してもらいたいですね。
写真集ごとに別々のコンセプトがあるので、展覧会全体の感想を述べるのは不適切です。ただ、あえていうと、基本的にはソスの出身地であるアメリカの辺境が抱える、光とも影ともつかない陰影を捉えた作品が多いです。決して明るくはないけれど、暗いわけでもない。そこがとてもいいですね。
ジャーナリスティックだけどどこか人間的な温かみのあるソスのまなざしは、最近の日本の文学や報道にはない、大切なものだと思います。

補足:図録は1,100円ですが、文庫本のような判型で、非常に薄い本です。
アレック・ソスについてもっと知りたい方は、IMAのアレック・ソス特集号を購入されるのもよいかもしれません。Amazonで売っています。


② 東京都写真美術館 『メメント・モリと写真 死は何を照らし出すのか』

ラテン語で「死を忘れるな」という言葉を持つ「メメント・モリ」をテーマにした写真の展覧会。荒木経惟の『センチメンタルな旅』やロバート・キャパやユージン・スミスの報道写真をもとに「死と生」について捉え直す趣旨になっています。
先にも書いた通り、「メメント・モリ」は直訳すると「死を忘れるな」です。この意味するところは「死を通して、生を見つめる」です。報道写真には人間の危機的状況が写し出されています。生命の危機は死を想起させ、その一方で、生きている状態を活写しているともいえます。「死と生、そしてそれらのあわい」が展示された作品にはあるのです。
ここまで書いておいていうのもアレなのですが、いまいちしっくりきませんでした。2016年に国立国際美術館で『エッケ・ホモ』という同様のテーマを扱った展覧会があったのですが、これを参照点にすると、本展の問題が浮かび上がります。
写真のなかに「死」が明白に存在しすぎているんですよね。報道写真はもちろんですが、『センチメンタルな旅』も被写体の女性(荒木の妻)が荒木よりも先に亡くなることが予備知識としてあるから、「死」を扱った作品として見られます。これでは被写体の「死」と鑑賞者の「生」の二項対立とも呼べる関係が固定してしまいます。「メメント・モリ」は自分の死を思うことであって、何者かに感情移入して、何者かの死を思うことではありません。
とはいえ、本展を観ても損はしないと思います。古今東西の名作を見ることができるいい機会ではありますし、料金も700円とお安いですからね。

③ 東京都写真美術館 『イメージ・メイキングを分解する』

一般的に、写真はカメラで撮ったイメージを紙などの支持体にプリントしたものと思われがちです。もちろん、大多数の写真はそうなのですが、ほんのわずかながらカメラを使わない写真やビデオインスタレーションとして世に出された写真も存在します。本展は多くのひとが抱える、写真に関する固定観念(カメラで撮り、かつ、紙にプリントされたもの)を打ち破ることを目的とした展覧会といえるでしょう。
本展は思考実験の側面があり、見た目は決してよいものとは言えません。NADiff(美術館に付設してある書店)の店員が展示された作品の一部を見て「コンセプトが理系過ぎて、文系の自分には分からない」とコメントしていました。私はコンセプトは理解できましたが、果たしてそのアウトプットが万人に「美」として受け入れられるかは難しいと思いました。
ただ、「本展で展示された作品は美術作品ではないのではないか」と問われれば、「美術作品である」と答えます。美術作品には必ず審美性が必要ではありますが、それは思索的なものであってもよく、必ずしも美的でなくてもよいのです。
基本的にはおすすめしないですが、思考実験を審美するために鑑賞するのはアリだと思います。入館料は700円とお安いですしね。

④ パナソニック汐留美術館 『キース・ヴァン・ドンゲン展』

オランダ生まれのフォービズムの画家、キース・ヴァン・ドンゲン(1877―1968)の展覧会。独特な女性像とファッショナブルが画風が印象的な画家です。日本の美術館や画廊がキース・ヴァン・ドンゲンの作品を所蔵しているのですが、本展ではフランスの美術館やコレクターが保有する作品を中心に構成されています。
展示された作品そのものには不満はないのですが、画家の生涯を考えると残念な気持ちになります。キース・ヴァン・ドンゲンの芸術家としてのピークは1900年代で、そこから時代が下るにつれ芸術性が減衰していきます。そして、1930年代に入ると画業がまったく評価されなくなっています。芸術家として評価されなくなってから亡くなるまでの約40年間が空白になっているのです。たとえ画業が評価されていなくても、展覧会のエピローグとして、晩年の絵画が1点ほしかったところです。ともすれば、新しい側面(例:画家とファッションの関係)から新しい評価が生まれるかもしれません。私立美術館の展示なので不満を言うのもおかしいのですが、美術の展覧会は少しでもいいので研究のための側面を入れてもらいたいものです。美術は歴史と同じで、過去のものではありますが、そのありようは研究次第で大きく変化する可能性を秘めているのです。
パナソニック汐留美術館なので展示の規模は小さいですが、その分、入場料は1,000円とお手頃です(図録は3,000円もしますが)。

⑤ ワタリウム美術館 『鈴木大拙展 Life=Zen=Art』

仏教哲学者の鈴木大拙と関係のあった人物の書と現代美術家の作品を集めた展覧会です。禅の思想が現代美術に与えた影響がテーマで、ナムジュン・パイクやヨーゼフ・ボイスの作品を所蔵しているワタリウム美術館らしい展示になっています。
本展は鈴木大拙の思想を知るですとか、現代美術を理解するための展覧会ではありません。禅問答のように芸術家が投げかけた問い(芸術作品)に対して、鑑賞者がなにがしかの答え(感想)を出すという鑑賞の仕方が最適ですね。答えに正しさや論理を求めるのではなく、感じることをそのまま答えとする。どう感じるのかの解像度が求められている展覧会といえるでしょう。
正直、入館料1,500円は高いです。

⑥ 国立新美術館 『国立新美術館開館15周年記念 李禹煥』

「もの派」と呼ばれる芸術活動で世界的に有名な現代美術家、李禹煥の回顧展です。初期の作品から最新作までをバランスよく展示しています。
個人的には不満が1点ありました。スマートフォン所有者には音声ガイドが無料となっていました。展示室にスマートフォンを持ち込まない自分からしてみれば、使うことのない音声ガイド代を負担しているようなものです。無料というとサービスのように聞こえますが、実際はすべての鑑賞者に音声ガイド代を上乗せしています。観覧料1,700円と決して安くない展覧会なのですから、音声ガイド代は希望者に別途徴収するべきでした。
とはいえ、この作家の展示に音声ガイドは必要か? という疑問もあります。「もの派」は禅の思想から影響を受けていますし、李禹煥本人の作品についても禅の視点から語られることが多いです。つまり、李禹煥の作品を鑑賞する際には知識や理屈よりも感性が求められるのではないかということです。その点については実際、李禹煥自身が展覧会に向けてのインタビューで言っています。だったら、なんで知識を吹き込む音声ガイドが必要なのか? しかも、入館料に含めてまで……という疑問が浮かび上がります。

李禹煥は有名な作家ですし、あちこちの美術館に所蔵されているので、美術を多く観たひとにとっては初見の作品はそんなに多くなかったと思います。
とはいえ、これだけの作品が一堂に会することはないので、本展をご覧になって、李禹煥からの禅問答をお受けになってみてはいかがでしょうか?

⑦ 森美術館 『地球がまわる音を聴く』

国内外の現代美術のグループ展です。副題に「パンデミック以降のウェルビーイング」とありますが、あまりパンデミックは関係ないです。出展作家のひとり、ロベール・クートラスなんて1985年に亡くなっていますしね。
キュレーターが意図したものなのか、日本人芸術家の現代美術に対する考え方がどうも「浮いている」ように見えました。
本展で紹介されている日本人作家(オノ・ヨーコは除く)の制作のコンセプトは以下の3つのうちのどれかにあてはまります。
①現代社会への異議申し立て
②内なる制作意欲のすばらしさ
③個人的な体験をもとにした創作
①についてはテーマが生々しすぎて、芸術というよりも言論なりただの妄想にも読めてしまいます。小泉明郎《グッド・マシーン バッド・マシーン》は催眠術を使ったり、ひとを支配する怖ろしさを表現するあたりが遠野遥の小説『教育』を彷彿とさせます。いまここで起きていることをあまりに単純化しすぎではないかと思うところも同じですね。
②はアウトサイダー・アートの観点からよく語られます。金崎将司の作品そのものは興味深いのに、こんなつまらないくくり方で紹介するのは残念です。内なる創作意欲の素晴らしさを語るときにアウトサイダー・アートを用いるのは、キュレーターの自分勝手な行いです。作家は作品を通して自分の制作意欲を訴えたいわけではないでしょうし、そんなものは鑑賞者が作品を理解する役にも立ちません。
③については「知らんがな」の一言で済ませたいですね。
現代社会に異議申し立てを行うなら報道とは違った形で共感を得るように持っていってもらいたいですし、個人的な体験も多くの人々のこころに届くように抽象化してもらいたいと考えます。

ほかにも以下の展覧会に行きました。
⑧ 東京オペラシティアートギャラリー 『ライアン・ガンダー』
⑨ 東京国立近代美術館 『ゲルハルト・リヒター展』
⑩ 国立西洋美術館 『自然と人のダイアローグ』
⑪ 東京都美術館 『ボストン美術館展 芸術×力』
⑫ 東京都美術館 『フィン・ユールとデンマークの椅子』
⑬ 東京藝術大学大学美術館 『日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱』
⑭ 京都中央信用金庫 旧厚生センター 『BRIAN ENO AMBIENT KYOTO』
いままで長く書きすぎたので、コメントを短くいいます。
⑧と⑨、特にリヒターのほうはとても素晴らしい展覧会でしたが、コメントを書くのに時間がかかるのでパスします。
⑩はフォルクヴァング美術館の出展作に突出したものがなかったのが残念。これで2,000円は高すぎです。国立西洋美術館の所蔵品で特別展を開いたほうがよかった気がします。
⑪は絵巻物だけが見所。増山雪斎の南蘋派も佳作ですが、これだけで2,000円は高すぎます。
⑫は良くも悪くもイベント会社企画の展覧会。研究の側面に乏しい半面、実際に座れる展示品があったのはよかったです。
⑬は名品が数多く展示されていて、2,000円はお値打ち。
⑭は音楽は素晴らしいですが、アートワークは凡庸。禅のように暗い部屋でイーノの音楽と向き合う経験ができるのはよい。しかし、2,000円も払うような展示ではありません。部屋を暗くして音楽配信サービスでイーノの曲を聴いたほうが絶対にコスパがいいです。

今回の東京遠征で感じたことは、2,000円もする展覧会のほうがいまいちだったことですね。よかったのは『ゲルハルト・リヒター展』と『日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱』だけ。ほかは行ったことを後悔した展覧会ばかり。さすがに2,000円は冒険できる金額ではないですね。
ブロックバスター展は展示内容よりも集客が大事なのは分かるのですが、その考えのまま入場料だけが上がっているいまの状況はもやっとしますね。
いまの状況だから仕方ないといえばそうですが、値段が上がって質は落ちるでは気持ち的にやっていられない。
でも、まあ、「ブロックバスター展のライバルはディズニーランド」という流れになっていくんでしょうね。カップルがお互いを賢く、美しく見せるための場所。それなら、つまらなくてもいいですからね。

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