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小説現代長編新人賞 反省会

昨日、小説現代長編新人賞の1次選考の通過者が発表さ  れました。私も先ほど、近所の書店まで行って選考結果を確認して参りましたので、ここに書き留めます。

結果は分かりませんでした。書店に置いてなかったんですよね。小説宝石や幻冬、小説すばる、オール讀物は置いてあったのに、小説現代だけがなかったんです。現実から目をそらすまいと何度も確認したのですが、なかった。

ツイッターでは応募を報告されていた方々からの喜びの声があったりなかったりして、最初から明暗が分かれた格好になっていますね。私は結果が分かっていないので、このビッグウェーブに乗れていません。悔しいです。

小説現代長編新人賞の1次選考、通過率が20%ぐらいなんですよね。ほかの新人賞とくらべて高いんです。なので一次選考で落ちるのはかなり厳しい。小説家志望者としての可能性が疑わしく思えるぐらいです。

小説現代長編新人賞はほかの新人賞よりもいいところがあります。1次選考通過作品には編集部の方から講評がいただけるのです。ですから、応募作について反省するにしても、1次選考を通るか通らないかで大きな違いがあるんですね。

まあ、講評がないから反省しないというのでは駄目ですので、以下に反省点を列挙いたします。まだ落ちたかどうか分かってないんですが、それは次号確認することにします。

企画段階で「新しいもの」がなかった 前回受賞作の『檸檬先生』(注1)は、共感覚を軸にストーリーが進められていました。私は受賞作家さんの倍以上生きているのですが、共感覚という言葉を初めて知りました。それだけでやられた感じがしますね。

私の小説にそういう「新しいもの」とか「意外なもの」がないんですよね。企画とか開発以前の、素材集めのところに問題があるわけです。歳を重ねて好奇心が減ったことが原因かもしれないので、なんとか手慣れていないものに触れる意識を持たないといけません。

選考委員は小説を書いてきた経験だけでなく、知識も豊富です。純文学と違ってエンタメはひとを楽しませなければならないので、知識は並大抵のものではありません。そうした選考委員や編集部員の方々を驚かせるものが私の作品になかったと言われたら、確かにそうでしょう。

②欠落したシーンがある 京都文学賞のために書いた(応募したとは言っていない)小説でも飛ばされているシーンがあることに気づきました。この応募作にも抜け漏れたシーンがありました。どうも癖になっているようです。以下の例のような感じです。

例:会社員が外回りの営業に行くために会社を出る。オフィスにいるときは無精ひげが生えていたが、外に出たときはあごやほほがすっきりしていた。この場合、ひげを剃る場面がないといけませんね。

企画はきちんとしているつもりなんですが、シーンごとの前提条件を詰めていないまま書いちゃってるから、こういうことが起きるんですよね。制作中の小説でもそれをしていないので、再発しそうですね。注意しないと。

③考察させようとしすぎた ②にも関連するのですが、主人公のラストのアクションについて動機を書いていませんでした。これは意図してのものですが、それが不満だったかもしれません。昨年の同賞の選評などを読んでいるとそこはマイナスになるでしょうね。

そのアクションの特性上、はっきりとした動機が「書けない」というのはあるのですが、新人賞の場合はそうしたラストは好ましくないのかもしれません。まあ、それでも『檸檬先生』は受賞したわけですけれども。

新人賞に送る場合は、自○(へんな注意書きが出るので伏せ字にします)のような、はっきりとした動機が分からないものが本質のものをテーマにするのはよくないかもしれませんね。ハンディキャップを背負うことになります。

ほかにも改善しないといけない点を洗い出す必要はありますが、とりあえずはここまでにします。

小説現代長編新人賞に応募した作品は、時間があるときに改稿して、Kindle ダイレクト・パブリッシングで売りに出そうと思っています。まだ落ちたかどうか分からないですが、とりあえずは予告しておきます。

注1:『檸檬先生』は正直、好きになれない小説ですね。文章は装飾過多な感じがして、私の好みではありませんでした。誇張した表現に頼りすぎていたきらいがあります。でも、若気の至りみたいな文章もまあそれはそれでいいのかなとは思います。選考委員の方々もそこは指摘していない感じでしたし。

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