にいがたさくら

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Twitterのやつを保管します 500~1000文字程度でなんとなく地理や民俗が学べる情報を垂れ流しています。 リクエストは随時受付中です。 プリキュアオタクです。

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「電車」が走っていない徳島の伝説

日本で唯一「電車」が走っていない都道府県、徳島県。 ディーゼル車しかない徳島県では、その理由を説明する「伝説」がある。 徳島県の霊山・剣山にはユダヤの失われし聖櫃(アーク)が収められており、四国を回るお遍路さんにより作られた結界を「電車」が壊してしまうというものだ。 一体何を言っているんだ? と思われる方もいると思うが、私も同感だ。 だが、徳島の地方紙、「徳島新聞」でもそう説明されているのだ! 徳島新聞によると、聖櫃(アーク)を取り囲む結界は、電車から出るアーク放電も嫌

    • 第二次世界大戦で米軍が残していった文学作品

      第二次世界大戦は戦線が広い。米軍は様々な戦線に兵隊を送り込んだが、兵士は不満だった。 「移動時間が暇すぎる!」 それまでの戦争と比べてあまりにも長い移動時間は、兵士の不満を貯めるには十分だった。 戦地に着く前に不満が爆発してしまうことを懸念した軍は、本を支給するプランを策定した。 兵士の不満を抑えることが目的なので、内容も戦意高揚的なカタい話ではなく、娯楽小説をメインに据えた。 それが、ペーパーバックだ Armed services editionと銘打たれたペーパ

      • デコトラの歴史

        戦後の高度経済成長期、成長に伴って水産商品輸送用のトラック輸送の需要は拡大した。 だが北の漁港で取れた魚を運ぶトラックは、海風が強いところや、凍結防止剤が撒いてあるところなどをよく通ったため、よく錆びた。 そのため、寒冷地の八戸や石巻などではステンレス板で補強し、錆びないように工夫をしていた。 当時のトラックの運ちゃんは荒くれ者。アウトローな者たちも多い。 彼らは補強ついでにトラックをデコっていった。 こうしてできたのがデコトラだ。 彼らは他人と被るのを嫌う。故に同業

        • ジャパンブルーは藍染の服から

          明治時代、来日した欧米人に「ジャパンブルー」と言われるほど人々は藍染の服を着ていた。木綿の服には抗菌性がないため、抗菌性のある藍染をしなければ着られなかったからだ。 だが、日本では藍の染料の栽培場所は限られる。徳島県吉野川流域などが主な産地だ。 藍の適地は暴れ川の近くだからだ。 『四国三郎』と呼ばれた吉野川はよく洪水した。 治水技術が未発達の時代には、台風シーズンによく決壊し、収穫前の米に打撃を与える。 だが藍なら台風シーズン前に収穫ができるというメリットがあった。 平

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          越後平野の守護神・大河津分水のお話

          日本有数の穀倉地帯である越後平野。 しかし100年前までの越後平野は、3年に1回洪水が起きる超災害地域だった。 洪水の水は平野に留まり沼地となる。 農業生産性は著しく悪くなり、僅かに取れた米も生育環境が悪く、鳥も食べないという意味の「鳥またぎ米」と呼ばれるほど不味かった。 そんな状況を一変させたのが、大河津分水路だ。 大河津分水の構想は江戸時代からあった。 越後平野の洪水の頻度はめちゃくちゃ高く、必要性は誰しもが感じていた。 越後平野を流れる信濃川水系の水の出口は山や丘に

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          燕三条、銀食器の歴史

          第一次世界大戦で欧州の主要都市が戦果に見舞われ、イギリスでは困ったことになった。 「銀食器が手に入らない!」 開戦前のイギリスは主にドイツから輸入していた。まさか敵国から買うわけにはいかない。 彼らにとって銀食器は単なる食器ではない。 ステータスを表すシンボルでもあった。 だからこそ是が非でも欲しい。 一方日本は大正時代。まだ日本に洋風文化が浸透していなかったため、洋食器はほどんど作られていなかった。 そんな日本で、イギリスからの要望に応えれる街があった。 それが

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