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休職2ヶ月半、躁転反応

いくつかの泣きじゃくる日々を過ごしながら、
やっと今日美容室に行けた。半年以上、覚えてないくらい久しぶりだ。

それから平日の空いている時間にいくことで、食材の買い出しもできた。
人が多い時期には圧迫感を感じ、怖くなってしまっていたのだ。
「これだけの多い人に囲まれ、身動きが取れない」強迫観念に襲われるので、
これも不安症状だろうか。

ここ数日の焦りと極端な私の金遣い、苦しさを話したところ、
双極性障害の疑いの診断が出て、急いで抗うつ薬を減らし、
炭酸リチウムを増やす(躁にもうつにも効くらしい)ことになった。
本当に双極性だとすると薬を飲み続けることになるかもしれない。
それは私にとって結構しんどい。

けど、うつ状態ではなく双極性障害であるというなら、思春期の頃に
どうしても感情のコントロールができなくて辛かったあの頃に説明がつく。
「どうしてこんなに苦しいのだろう」「家族が理解してくれない」
「生きているのが辛い」「時間が経つのが怖い」「いずれみんな死ぬのが怖い」

「食べて・祈って・恋をして」(エリザベス・ギルバート著)によると、
『ある種の自閉症の人々は、時の経過に対してとりわけ悲痛な感情を抱くという。
いずれは死ぬ運命であることをことさら考えないようにして生きていけるのが普通の人々だとすれば、彼らは思考を取捨選択する心のフィルターを持たないかのように生きている。
友人の患者のひとりは、1日のはじまりに、その日の日付を尋ねるのが日課だ。
そして1日が終わると、こんな風に尋ねる。[ロブ、ふたたび2月4日がやってくるのはいつだい?ーー(ロブが答える前に、その人は悲しげに首を振って、こう言う)][わかってる、分かってるよ。そんなことは、来年になるまで気にしなくていい、だろう?]』

私も、この気持ちが痛いほどわかる。エリザベートは流れ去る時間に対する過敏すぎる意識に、最高速で人生に挑むことで抗おうとしていたが、
私はいつも立ち止まり、動けなくなるのだ。


つまり、今年は療養の年になる。
もう力を抜くべきだ、早く元気になろうとすることを、諦めたい。

真面目に通院し、内省しよう。
その先に希望がきっと訪れる。

(今回イラストをみんなのフォトギャラリーで拝借してみました。
fujicoさま、アデリアレトロ、私も大好きです)




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