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「女の時代」が語られること

正月早々、自分が絶賛したものが

みるみるうちに批判されるようになっていくのを茫然と眺めていた。

ここにある意見にはうなずけるものも多い。論点はいくつかあって、
・クリームパイを投げつけられている様が屈辱的に感じられる
・パイ投げがひどい世の中の暗喩なら、それに対抗する解決策が提示されていない
・社会構造によって性差別が起こっているのに、個人の問題に収束されている
・社会構造は男性中心社会が引き起こしているものなのに、それに言及されていない
・「想像するだけでワクワク」では解決としては弱い

などなど。ここからは、私の感想。新聞広告を見たとき、センセーショナルな表現を使ってでも、伝えたいことがあるんだと感じた。それで、検索してキャンペーンページを見た。

動画を観てはじめて、あ、これは安藤サクラだったんだ、と気づいた。グラフィックでは名もなき女性に見えるけど、彼女はいま、朝のテレビ小説「まんぷく」で、発明に邁進し(たびたび目をつけられて投獄される)夫を献身的に支えつづける女性を演じている。そんな彼女が、クソみたいな現実=パイ投げに直面し、倒れてしまうけど、クリームをぬぐいながら、男も女もない「私」として立とうとしている。

私はこの広告を見て、ポジティブなメッセージを受け取った。だから、続々と批判や違和感が寄せられているのを見て、これから企業やクライアントが「やっぱり、女性の社会問題を取り上げるのは面倒だな」「難しいから取り上げるのはやめておこう」と思われたらどうしよう……と思ってしまったことを告白しておく。

でも、批判の声を私は否定しようと思わない。違和感やつらさはその人自身の痛みだし、それを想起させるだけのインパクトがこの広告にはあった。「この表現がNGなら、何もできないよ」と論じるのは、強者の論理だ。リアルに日々、パイ投げ的な理不尽に直面してる人にとって、それでも「私に生まれたことを讃えたい」と言われても無理だし、その理不尽突きつけてる男性が変わらないことには、どうにもならんだろ、という気持ちにもなるだろう。議論が起こるのは、そこに余白や想像の余地があるからだ。

私が新卒で西武百貨店に入ったのは、セゾン文化に憧れていたからに他ならないけど、かつては世の中の空気を動かすような広告を次々と打ち出していた。これからは「女の時代」と謳ったこともあるのだ。

そんな西武がセルフ・アンチテーゼとして、「女の時代、なんていらない?」というコピーを打ち出した。「?」の曖昧さも、タグラインも「来るべきなのは、一人ひとりがつくる、『私の時代』だ」と言い切るのでなく、「そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか」と付け足す折衷感も、すごくいまっぽい。でも、それでいいと思う。それに対する違和感や感想をぶつけられて、声を挙げつづけなければ、時代は変わらない。ハレーションが起こらないことには、問題に気づかない人だって大勢いる。

だから、私はこのクリエイティブを出した西武・そごうの担当チームを支持したいし、「古巣よくやった」っていまも思ってる。
自分に最適化された世の中は、誰かにとってそうでないかもしれない。違和感のない世界は、かえって不気味だ。衝突が起こって、苦闘してもがきながらでも、昔より少しはマシになってるはず。そう信じてる。


読んでくださってありがとうございます。何か心に留まれば幸いです。