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うちの○○がすいませんは上手に怒りを抑える言葉。

現在家の家には女が4人いる。

私と娘三人である。

娘も結婚に興味が無いと言い張るし、私は離婚してこれ以上結構です状態な為、四人でお金を出し合って共同生活的に生活している。

無論、家事は分担なのだが、場合によっては誰かに集中してしまう事がある、お金も同額出しているのだが、失業したり精神的に仕事ができなかったりして其処も誰かが多く出すこともある。

それでも概ね4人で上手くやってきている、それでも何だかんだで言い争う事がある。

私は会社でも家でも自分で判断し自分で決めることが多かった為、結構自分の考えで家の事をする。

そこで長女はちゃんと言ってね、上手くやっていく為には、報連相よ、伝えることが大事、と何時も言ってくる。

そこで娘の悪い所も何もかもひっくるめて、言ってしまう、場合によっては泣かせるほど主張することがある。(長女は何につけてもよく泣く、大人に為った今でも泣く事が多い。)

私は泣く事が大嫌いである、泣いても問題解決には繋がらない、子供の頃から其れを聞いて育っているのだから泣くなと思っているのだが、どうにも噛み合わない時がある。

そんな時、次女と三女が「うちの母がすいません。」「うちの姉がすいません。」と言ってくる。

娘三人と私で住んで居るのだからなーに言ってんだとなる訳なのだが、その言葉でちょっとだけニヤリとして怒りを忘れてしまって、お互いに顔を見合わせ怒りを抑えてしまう。

出来た娘である、(もう30年以上の付き合いなので、解って居るのだろう。)家族って良いな。

私はと言うといつまでも穏やかになれない出来の悪い母であることを反省しきりである。

長女も泣き虫の割にちょっと人の事を考えずに物を言ったり、色々な事を勝手にしたりするので、下二人はおねいちゃんも悪いと言いながら仲裁してくれる、大岡裁きである。(そんな立派なものか?)

これからもこの生活が続くかどうかは解らないが、今の生活が有り難いなと思っている、母は子育てで育たなかったけど、子供はちゃんと育ってくれてありがとうである。

出来た母にも出来ない母にも子供は与えられる、その子供に助けてもらっているのが解るのは、きっとこんなに年取ってからなんだと思う今日この頃(遅すぎじゃないかとの意見、神妙に受け入れます。)

そんな訳で、今日も仲良く喧嘩しながら生活してゆく我々である、これはきっと長く続くと思っている、それで良いかどうかは置いといて、今はこれでいいのだ。

多分。


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