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私の話に「承認印」を押してくる人

仕事で「報・連・相」ってあるじゃないですか。

それに関連して、男の人は女の人の「相談」に「アドバイス」をしてはいけない、ただ愚痴を聞いてほしいだけだから、みたいな話があったりして。

そういえば、私の話になぜか勝手に「承認印」を押してくる「友人」との会話に、しばしば戸惑うことがあるなあって思ったので、書きます。


そもそも「報・連・相」とは何かを私的な解釈で分解してみる。

■報告
業務上の判断に必須の情報を義務として人に伝達すること。

■連絡
業務上の判断に影響を与えるとは限らない情報を人に共有すること。

■相談
業務上の判断ができないときに人に情報提供を依頼すること。


これ、ビジネス以外の場面で意味合いが多少変わるのはともかく、言葉の境界線が薄れてごちゃまぜになってしまっている気がする。今回は便宜上、友人間の会話についても、ビジネス用語としての区分を引用して書きます。

「報告」の場合、報告された者はその内容について「良しとするか悪しとするか」のジャッジをしたうえで、では報告者が次にどうすべきかの指示を出さなきゃいけない。報告は「情報伝達」および「指示の請求」なんだよね。

「連絡」であれば、基本的に「情報共有を受けたよ」「状況について把握したよ」という事実を伝えるだけでいい。伝達された内容について「知っている」こと、「知っていることを相手が知っている」ことが重要。


私、これを「相談」扱いするからややこしくなるんだと思うんですよね。「認識したことの表明」だけでいいのは、相談ではなく「連絡」じゃないかと。

つまり、男の人は女の人の「相談」に「アドバイス」をしてはいけない、ただ愚痴を聞いてほしいだけだから、っていう話の真相は、「連絡したいだけなのに”相談”だと前置きして話し出す」「連絡を受けただけなのに相談されたと勘違いする」だと思う。

「認識したことの表明」に「共感」が含まれるかどうかは、今回はちょっと見逃してください。


で。「私、最近こんなことしてて~」とか「私、こういうことやろうと思ってて~」とか。友人に話したときの、「うん、いいと思う。それってこうだったりして、さちこはこうだからね。うん、いいよ、そうしなよ」という、それだけの相手の言葉が、なぜか妙に「報告への承認」に聞こえてしまうことがある。

あれ、私、ただ、こうだよって、連絡しただけで。「そうなんだ」って、受け取ってくれたことがわかるだけで、よかったんだけど。

あれ、どう思う?って、相談したっけ。どうすべきなの?って、報告したっけ。って。戸惑うことがある。

え、なんで、私、あなたに「承認印」押されてるんだろう。みたいな。水さされたような気持ちになることが、あったりする。


仕事だったら別ですよ。そもそも「情報そのもの」を伝える前に「その情報を伝達することによって何を求めているか」を表明するようにしている。「これはただの雑談なんで聞いてほしいだけなんですけど」とか「経験談を教えていただきたいんですけど」とか前置きする。

相手から欲しい反応を的確にもらえるし、次のアクションを決めたいのか、選択肢を増やしたいだけなのかっていう、会話のゴールを先に共有することになるから、話の着地点がお互いに見えなくてだらだらおしゃべりしちゃうってこともない。


友人間の会話に関しては、私、「連絡」が好きなんだと思う。人にアドバイスを求めて「相談」することもたくさんあるけど、「報告」は、ほぼない。

でも、友人に「報告」して「指示を請求」する人だって、けっこういると思う。「あなたならどうする? じゃあ私もそうする! あなたのこと信じてるから! あなたのこと好きだから! あなたの言うこと聞きたいの!」みたいな人。

私は自分で決めたい。自分で考えてることの補強のために、自分では思い浮かばない「選択肢を増やす」ために、人に「相談」する。そして、決めたら、決めたことを連絡するのが好き。

だから人の話にも「へぇ~! そうなんだ~! いいね~! へぇ~!」くらいのスタンスで「でもめっちゃいいと思ってるよ」を伝えられたらいいなと思っている。それを相手がどう思っているかはわからないけど、相性だよね、全部。


「いいと思うよ、そうしなよ」と承認されると、私は「え、うん。だから、私はそうしようと思ってるよ」って強めに返しちゃう。

あ~自分勝手だな~。よかれと思ってその言葉をくれる友人たちに心のなかで謝りながら書いてます。いつも相手してくれるみなさん、ありがとう。

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