責任という言葉が重すぎた

先日こんなことをつぶやきました。

「責任」という言葉を重くとらえてしまうのは、他を一生懸命生きてきたからだね。

母親として
妻として
娘として
長女として
会社や地域の一員として

の責任。

例えば母親として。
料理が苦手で、いつも子どもに笑顔でってそんなの難しすぎて。
本来は家が大好きだからのんびり過ごしたいのに。
お休みの日だからどこかへ連れて行ってあげなきゃって。

例えば妻として。
親戚づきあいなんて本当はしたくないけど。
夫の顔を立てなきゃって思って。

本当はやりたくないことも、辛い、大変だって思うことも。
その役割にくっついている「責任」があるから。
一生懸命頑張っている。

そこをね、いきなり。
これからは自分を生きる責任にしていくんだよ、と言われても。

辛くて大変で、ものすごく頑張ってきた過去がくっついたままだから。
はぁってため息が出て。腰も重くなって。

自分を生きる責任なんて重すぎる・・・
そう認識してしまうのかなって。

私は、自分を生きる責任を知った。
言葉だけじゃなくて身をもって知った。

今そこを通過したところ。
まだ過去の自分に戻れそうな場所にいるから
何度も何度も言葉の意味を塗り替えていく作業をする。
そう決意しています。

サポートありがとうございます。