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子どもは、本当は学びたい意欲に溢れている


メタバースの学校、ニンジャ寺子屋をつくっています。 ”みんなでつくる、みんなの学校”であり、 授業から行事まで大人も子どもも関係なくつくっています。 学びたいことを学ぼう 教えたいことを教えよう 好きは学びの出発点です。子どもたちの”やってみたい”を 応援したい学校です。

子どもってね、本当は勉強が好きなんです。
放っておけば、実は勝手に勉強し出ます。

えっそんな馬鹿な。
そんな子もいるかもしれないけれど、うちの子は違う。
と、多くの方が言うでしょう。

私は、長年教員をしてきて、
すべての子どもたちが”学ぶ”意欲に溢れていると
知りました。

余命宣告を受けた子どもが受験勉強

ホスピスの本を読んでいる中で、
末期癌に侵されて、余命宣告を受けながらも
大学受験をした男の子のお話がありました。

『子どもホスピスの奇跡』 石井光太 著より

要約すると、
成績優秀、スポーツ万能の男の子に
病魔が襲います。
彼は、自分の病気の経験から医者になりたかった。
でも、長年の闘病により難しいと感じながらも
次は教師になりたいと大学受験を目指した。

病気と戦いながらも、必死で猛勉強します。

もう、食べることすら自分でできなくなり、
水分を口に湿らせてもらいながら、
両親に支えられて、必死で試験会場に行きます。
生きることに精一杯で、試験をする健康状態とは
とても言えるような状況ではなかったそうです。

そして、ふらふらになりながら
問題を解きます。
両親はもう、やめようと何度も声をかけたが
彼はあきらめなかったそうです。

そして、試験を終えた数日後に
全てをやり切ったように
彼はこの世を去りました。



彼だって、おそらく自分の命がそう長くないことは
悟っていたでしょう。
そんな彼が、なぜそこまで勉強したのか?

”生きている”からではないかと私は感じました。
生きることは学ぶことだからです。

生きているから、
人は新しい知識を入れたいのです。
きっと、彼にとっては、
それが受験勉強だったんです。

人によって、また年齢によっても
違うと思います。
小さい子どもなら、
水が冷たいことや、
お日様の光が眩しいことも知ることも学びです。

人は生きている限り、
学びたいのだと思います。

引きこもりだった女の子が


私が出会った生徒の話です。
実話をもとにした、架空のお話です。

家族の転勤で引っ越しを繰り返す中で、
外に出ることが怖くなり、
小学校はほとんど行けなかった女の子がいました。

そして中学生になった時に
定住が決まり、中学校に入学しました。
彼女は小学校はまともに行けていないので、
学校での体育の走り幅跳びも、
英語の外国人ティーチャーも、
みんなの前で自分の考えを発表することも
初めての経験です。

遅れてはいるもの、ある程度の教科省の知識はありました。
それでも、知識と経験は大違いです。

彼女は、見ること全てにアンテナを張り
私が話す世間話ですらも誰よりも真剣に聞いていました。
スポンジの如く、これまでの遅れを取り返すかのように
あらゆることを吸収して、
3年生になる頃にはみんなの推薦で学級委員になりました。


「先生、外は知らないことがいっぱいあってさ、
困っちゃうよね〜どうしよう、全部知りたくなっちゃう」

と、彼女は嬉しそうに言いました。
入学した時の、おどおどして発表なんてとんでもないといった
様子からは想像できない変化でした。

学ぶ楽しさを知り、
学ぶことで自己肯定感が高まり、自信をつけていったのでしょう。

雑学を知ってると自己肯定が高まる


セイタカアワダチソウとススキの
戦いで、ススキが負けなかった
(ニンジャ寺子屋のあいさんから教えてもらいましたw)

そんな雑学を学ぶと自己肯定感が高まるそうです。
(これも、あいさんから教わったw)

その信憑生は分かりませんが、
なんとなく分かる気がしませんか?

いい点数取ると、
多くの人が自己肯定感、高まりませんか。
”やったぁ、自分ちょっとすごいな”みたいな感じです。

本当は、何も勉強してなくて
たまたま数字が当たっただけなことは
わかっていても、ちょっと”自分すげぇ”になったりします。

人は生きるために、
”あっちに美味しい木の実がなってるぞ”
”この魚は毒だ、食べたら死ぬ”
情報は命につながるので、
情報を積極的に仕入れる脳になっているそうです。

スマホだってそうですよね。

情報を仕入れることは学ぶことと
同じ意味とも考えられます。

人は生きている限り、
生きるために情報を得る、
つまり、学んでいる生き物なのかもしれません。


学ぶ意欲のない子どもたち


ずっとゲームしていたい
ずっとYouTube見ていたい

親だと、ちょっと困りますね。
でも、実はこれも良質かどうかは分かりませんが
学びの連続だったりします。
新しい情報を求めて、脳がワクワクしているんですね。

やりすぎ注意ですが。

学校の勉強こそが学びだと断定してしまうと、
あまりに”学び”の範囲が限定的です。
教科書も楽しい子は、それで満足できます。
(私は国語の便覧と、社会の資料集を持ち歩いてました)

最近の子どもたちは、その学校が提供する”学び”では足りなかったり、
自分と合わないと判断する子がいるのかのかなと感じます。

子どもたちが、本来持っている”学びたい””知りたい”
パワーを発揮してほしいと思っています。
そのためには、学びに疲れている(情報に疲れているのかも)
子は休んだ方がいいし、
学びたいことがある子どもたちは、
どんどん学んだらいいと思うんです。

実現させたニンジャ寺子屋

ニンジャ寺子屋では、
子どもたちに課題は出しません。
基本、お好きにどうぞ〜です。

子どもたちから、
「メタバースで文化祭やりたいな」
「ボクセルアート作ろうかな」
「メタバースの自分のワールド作ろうかな」

それを大いに歓迎、
それを応援したい大人たちが集まってきました。

「メタバースで授業したいです!!」
そんな子どももいました。
子どもたちが、やってみたいをやっていると、

勝手に、ボクセルやるには〜
パスワード設定しなやきゃ〜
あっこれ、ローマ字だ!ふむふむ
と、どんどん吸収してしまいます。


今は、6月に文化祭をやりたい!!
と張り切っています。
今、寺子屋生を5日まで募集しています。

興味を持った方は、ぜひHPを
覗いていみてください。

https://ninjaterakoya.com/





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