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おふくろの味

私のおふくろの味は「おいなりさん」

味付けがうすめな気がしたけれど、お弁当箱いっぱいになったおいなりさんは、たまらなくわくわくした気持ちになりました。おいなりさんって、実はけっこうめんどくさい。大人になって気づいた。

でも、母は喜んでつくっていたような気がします。母までわくわくしていた印象です。


子バナナにとって「おふくろの味」は何になるんだろう。

コロッケとか言われたら悲しいなぁ。揚げ物しない我が家は買ったやつだからね。

って、考えるとちゃんとごはん作ってあげなきゃっていう想いになりますよね(溜息)毎日の積み重ねが、子どもの味覚をつくるのだから。

最近は、コンビニで「おふくろの味」が買えちゃいますからね。フルタイムで仕事をして、保育園のお迎え、お風呂にいれたら、ごはんは・・・お惣菜になってしまいますよね。

お惣菜を晩御飯に出しているママを誰も責められない。だって、手を抜けるところは抜かないと、倒れちゃうから。


でも、食べているものが体をつくる。基本的なことだけど、お腹が空くし、おいしいものを食べたい欲求から食べているだけで、そのことを忘れちゃう。みんな、コンビニやお惣菜がよくないことくらいは分かっている。

でも、忙しい。作る暇がないのが、現状なのだ。だから、お金さえ出せば少し楽ができる。むしろ、その方が美味しいことはよくある。

私は、30数年かなり美味しいものはけっこう食べてきた。その中でも、今までと違うおいしさを経験した。

長野の山奥の数年前まで茅葺屋根だったという古民家のおばあちゃのおうちにご縁があり、行かせて頂いた。特別な活動をしているとかでもない普通のおばあちゃん。もう、腰が曲がり切っていた。失礼ながら、昔話にでてきそうな逆Uの字。

そんな、おばあちゃんがさらりと、「こんにゃく持って行きなさい」と渡された。一緒にいた、村の人が「いいのか??」と驚いていた。

聞くと、こんにゃくはまず芋を作るのに、2年。寒いこの地域では、一回掘り起こさないといけない。そして、土に戻す。芋ができても、練るのに一苦労。とにかく重たいらしい。その作業を2時間。そして、出来上がるこんにゃく。腰が逆Uの字のおばあちゃんが。重労働だ。

それを、聞いてしまったらそんな苦労して作ったもの頂けない。1度は断ったが、おばあちゃんはこんにゃく作りは大変だけど、まあこんなもんさと気にも留めてない。

そのこんにゃくは、美味しい!!と飛び上がるというより、ずっとずっと味わっていたい、おいしさだった。食べたあとも、ふわーっと体に染み渡るおいしさ。今までの100円こんにゃくとはもう別物。初めての”おいしさ”に出会った。


本当は、自分たちの土地で育った野菜、旬のものをふつうに料理して食べたい。食べ物を頂く過程では当然出てくる程度の手間(出汁とり、大根おろしとか、たけのこのあく抜き、魚をさばくとか)は惜しまずに料理したい。

そういう時間を大切にできる生き方をしたい。それは、”スローライフ”みたいな生き方になるのでしょうが、ちっともスローにはならない。むしろ、それはそれでいそがしい。こんにゃく作ろうとしたら、大変だしね。

でも、何を大切に生きるかって話で、「食べる」ことの工程を人任せにせず、その時間を大切にしたい。今の生活様式から考えると、食べることに多くの時間と手間を費やすことって、とても贅沢な時間な気がする。それが、本当のゆたかさなのではないかと。

高いお金を出して、その道のプロが作った最高のごちそうが、テーブルに座れば出てくる。これも、贅沢でゆたかなことかもかもしない。それはそれでいい。

季節のものを、美味しい時に頂けること。手間を惜しまずに、命を頂くこと。最後はおいしいねって一緒に食べる人がいること。ある意味で簡単には手に入らないゆたかさ。同じおいしいでも、別の”おいしさ”。

私は、後者のゆたかさを求める人になっていく。

手間暇かけた料理を子どもにも食べさせたい。そうしたら、おふくろの味は「コロッケ」とは言われないかなー。



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