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ヘドロの川岸と 鼻くそラーメン

 今年の夏は 記録的な暑さが続き
もう、みんな、仕事より
自分の身体を大切にしてくれと
思いながら 何とか乗り越えました

  そんな8月なのに、暑さのなか
 唯一 仕事以外に楽しんだ
川崎フロンターレの試合
等々力陸上競技場に三度足を運んだ

川崎フロンターレは 地域密着の
イベントも随時開催していて
ある時「川崎のソウルフード タンタンメン」のイベントが🍜

 暑すぎたあの日 スタジアムで
タンタンメンを食べる気力はなく
🍧かき氷を食べながら 
 空を仰いで居た時

ふと、昭和48年の頃を思いだし
ハッとした
そうよ タンタンメンは川崎だけじゃない
鶴見川崎のソウルフードだと

そして、ホントに トタン1枚で
仕切られたアパートに暮らしていた
その頃の自分を恐る恐る思い出していた
「今日はお母さんが帰ってこなかった」
泣きながら落とした米の袋から
米をかき集めて お粥なのかご飯なのか?を炊いて 弟と食べていた朝
弟が泣き出して自分も悲しくなって泣いた

母ちゃんは、なんで、工場のパートを辞めて お酒飲んでお話しする仕事になったのか?その頃の自分には ただ、ただ、わからなくても 理解したふりをする優等生なお姉ちゃんで居た

 その後だったか、前だったか
川岸で 蛇花火で遊んでいた
弟は 誤って 川に落ちて
落ちた弟を引き上げると ヘドロが
まとわりついていて また
二人で泣いて 泣きながら 川岸の隣の小学校の昇降口の水道で洗い流して
家に帰った

帰っても また母ちゃんは居なくて
アパートの隣の家の おばちゃんが
「さっちゃん 、二人で銭湯に行ってきな」と 母ちゃんが おばちゃんに
預けて出掛けたんだと言う
がま口を渡してくれた
まだ、濡れてススリ泣いている弟を玄関の外に待たせて
銭湯に行く準備をして二人で銭湯へ行った

銭湯を出ると そこには
酒屋が有る
ホームランバーを一本買って
弟と代わる代わる 舐めながら
家路についた

あれは、多分8月だったような
記憶がある

家に入ると
そうめんが、茹でて置いてあって
二人で無心で食べたのを思い出す
そうめんのみ

「学校が 始まったら また
土曜日は 鼻くそラーメン食べに
いけるかなあ?」

弟が言い出した
あの言葉を

今年のフロンターレの
タンタンメンイベンで
思い出した

鶴見川崎のソウルフード タンタンメンは 挽き肉と卵とニンニク
下町らしい 食べ物だなぁ

米をかき集めて 炊いたおかゆと
母ちゃん 朝に酔って帰ってきて
角の八百屋さんのオジチャンに
慰められてた

なんで怒らないで
慰められてたのかは
子供だったあの頃は
わからなかったけれど

今は 想像が出きる

ヘドロの臭いは
もう思い出せないけれど
タンタンメンのお陰で
鼻くそラーメンを思い出した
(鼻くそラーメンは、近所のラーメン屋さんが月に1日、土曜日のお昼に子供向けに 挽き肉がポロポロと 散りばめられた醤油ラーメンを60円で提供してくれたラーメン 鼻くそのネーミングは 子供たちの中での物です)



鼻くそラーメン

学校が始まって
9月 食べに行けたのか?

母ちゃんは
なぜ そんなことに?
深い理由は…


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