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【掌編小説】 彼女の好きな花

「小さいときね、おじいちゃんがお庭の花壇に毎年植えてくれてたの。大好きだけど、触れられない感じがしてた」

 薄い雲がかかった夜空の下、僕らは手を繋いで歩いていた。同期の彼女との帰り道。会社の近くまで電車は通っているのだが、最寄り駅から乗らず、しりとりしながら二駅分を歩く。負けた方が思い出話をするという決まりは、いつの間にかできていた。〈りんご〉も〈りす〉も既にでたから、彼女が今日の話し手だ(適当なところで勝手にカウントダウンを始めて時間切れにするのも、僕らの暗黙のルールになっている)。

 僕が最後に言ったのは〈ひまわり〉。だから彼女は、幼稚園の頃につくった向日葵の唄のことを教えてくれた。

「向日葵が好きなことは、誰にも内緒だったの。だって、向日葵はみつきちゃんが好きな花だったし、私は本当は、みんなが名前を知らないような花を好きでいたかった。私だけが魅力を知っているような、静かな花を」

 でも彼女は庭の中で一番大きく咲いた向日葵が好きだったし、それを自分だけの花にしたかった。

「ひまわりはお日様の方を向くんだよ」
 彼女がそう教わってからは、向日葵の写真を見るたびに、その絵を描くたびに、見えない太陽の存在を想像した。

 太陽のいないときの向日葵は、俯いてバラバラの方を向いていて、頼りなく見える。そのことに気づいた彼女が初めて向日葵に声をかけたのは、ある夕方のことだった。もちろん、向日葵が反応する訳はない。小さな彼女はそれで満足だったと言う。

 街路灯の弱々しい光が、僕らふたりを包んでいる。僕は嬉しかった。彼女が僕を見つけてくれたことを、嬉しく思った。僕らは月の見えない空を一緒に見上げている。落葉樹が並んだ道に沿って、もう一駅分、歩いていく。

ここまで降りてきてくださって、ありがとうございます。優しい君が、素敵な1日/夜を過ごされますように。