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【読書感想文】 盾を下ろす術を


『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』
 小説の内容を含みます。まだの方はぜひ、小説を先にお読みいただきたい。

 大好きな、尊敬する、私に影響を与えてくれる人物のひとりである、ジャルジャルの福徳秀介さんの処女作、『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』。温もりを感じる愛犬の写真、タイトルのフォントはあどけなく、バックは鮮やかさと淡さをどちらも持った黄色。目を引く装丁に包まれたその小説は、発売日には私の手元にあった。しかし読むことができたのは、発売から2週間以上経ってからだった。その表紙をめくることができずにいたのは、ただ忙しかったのと、固体とも液体とも気体とも言えないような説明のつかない何かが、心を占めていたから。
 ここ最近、自分の素直さをどこか遠いところに置いてきてしまったような気持ちでいた。(偶然だけれど、ベランダで寝てみたりもした)。大好きな人が4年の月日をかけて”本気で”書いた作品だから、自分も本気で全力で、そして純粋無垢な気持ちで読みたくて、開くのを躊躇していた。でも長過ぎる睡眠をとったあと、ふと、私は素直さを忘れたのではなく、初めから持っていなかったのだと感じた。すると急に待てない気持ちになって、すぐに読ませていただいた。1ページ目から福徳さんらしい文章が印刷されていて、なんだかほっとした気持ちになった。


 舞台は関西大学、友人の少ない小西徹はキャンパスを一人で歩くとき、日傘を必要とした。大学では学生たちは大小の輪をつくり、上手く話せるフリをする。

 大学生。モラトリアム。ひとりで立つための、猶予期間。学費を払って、ある場所に所属し、保護されながら、自由と責任の相関を学ぶ。その間に私たちは、自分と外界(つまりは社会)との接合点を繕うのだ。

 私は大学に入学してから社会に出るまでの数年をかけて、見えない盾を造ってきたように思う。夢や目標を目隠しのような旗に掲げながら、嘘のような嘘じゃない論理性で固めた言い訳を自分自身に向けて唱えながら、なにか重要なものから目を背けてきたように思う。

 いつしか盾と自分との境界が曖昧になっていき、盾の重みなんて感じなくなった。そして社会に出て、じわりじわりと気が付く:自分を守ってきた盾が、お堀のようになっていたこと。キャンパスをあとにした自分がいるのは、孤城であったこと。敵は疎か、美しい人たちをも城に入れられなくなっていたこと。城を出てお堀を越えた先に道はなくて(”人が歩いたところに道はできる”、自分が行ったこともないから道がないのは当たり前だ)、進み方が分からないということ。

 お堀を埋めたくても、盾を下ろしたくても、それはもう自分の一部。両親や祖父母やきょうだいが長い歳月をかけて与えてくれた、”自分は価値のある人間だ”という感覚を失わないように必死になって、むしろ、これまで以上に盾を必要としている。

 しかし、お堀のような盾はもう持ち運べるような代物ではなくなっている。盾と共に今の場所に留まるか、盾を置いて進むのか、選ばなくてはならない。選ぶということは、一方を捨てるということでもある。

 小西徹にとっての盾は日傘だった。桜田花にとっての盾はお団子頭だった。盾を下ろしたとき、ふたりが(ふたりで)到達したのは、テレビの最大音量だけではないはず。なんだろう。怖い世界に生身を晒すことだろうか。素直な気持ちを伝えることだろうか。きっと、一つや二つではないのだと思う。無防備の美しさを教えられた。

 私は、あの猶予期間に学ぶべきだったのかもしれないなと思う。盾を下ろす術を、身につけておくべきだったのかもしれない。そしてこうとも思う。きっと私は今、自分で自分に与えた猶予期間の中にいる。時計の針は、地球が回るよりもずっと速く感じるけれど。まだ間に合うと信じたい。大切なことは、時間をかけても良いよね?と、徹と、桜田さんと、さっちゃんに訊いてみる。助走をつけさせてほしい。ちゃんと全力でやるから。だって“隠れた空は、青いだろう”、今は見えなくても。盾を下ろしたとき、自分の心も青くあってほしい。澄んだ青だと嬉しいけれど、未熟な青でも良い。


 たくさんの出来事や記憶や感情がちりばめられていて、物語のラストに近づくにつれて、すべてが繋がっていく。様々な雲を眺めていくうちに、それ全体が空なのだと気が付くような高揚感に似た感覚。喪失感を味わうと同時に、大きくて優しいものに包まれる作品だ。「今日の空が一番好き」。空は毎日新しいけれど、昨日の”今日の空”と、今日の空と、明日の”今日の空”は繋がっているんだと感じさせてくれた。

 視界に入るたくさんの物事に、意識を向けて暮らすというのは難しいことだ。日常という背景の中に溶けているモノを、つい見逃してしまう。でも福徳さんは、さらりとそれをしているのだと思った。些細なことにも意識を向けて拾い上げ、そこにあるモノと自分の中の感情とを丁寧に混ぜ合わせて思考する方だと感じた。


 2020年の11月下旬、今の私が感じたこと。感想のつもりが、まとまらず、現在の自分の記録のようになった。次にこの小説を読むときには、全く違うことを感じていたい、と願う。

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