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今年の桜

ひと月前、愛犬が余命宣告を受けた。

根治のない、治療の難しい悪性の腫瘍が鼻腔内で見つかった。

例年にない早さで桜が開花していて、その日、桜が咲く道を

不安な気持ちを抱えながら精密検査を受けるために病院に向かった。

犬を抱っこし、玄関を出る時、足元に桜の花びらが落ちていたのを見て

涙が溢れてきた。

昨年の秋頃から心の奥底ではこの日をどこかで予感していたような気もする。

あの頃、私はしょっちゅう悪夢にうなされていて、何か良くない事が起きるような気がしていたから。

12歳という比較的高齢であること、検査のための麻酔で戻ってこないかもしれない、と考えているだけで胸が締め付けられて涙がどんどん溢れてきた。

検査設備の整った高度医療専門病院の先生は、淡々とかつ事務的に検査の説明をして、私の手からリードを受け取り犬を奥の部屋に連れて行った。

検査結果より何より、ただただ戻ってきてと願い犬の後姿を見送った。初めて会った人に、何の躊躇もなく促されるままに付いていく姿が切なかった。

検査終了の連絡があったのは、最初に言われていた時間どおりだった。予定終了時刻少し前に、待合室で待機していた私には、ドアの向こうに我が子の声が聞こえていた。雄たけびのような悲痛な声ではあったけれど、とにかく安堵した。たくさんの音が溢れていたのに、私はその声に気づき、隣にいる主人とうなずきあった。

その後、最初に説明を受けた部屋に呼ばれた。最初と同じく、医師は冷静に事務的に結果の報告を始めた。

「結果を言います、腫瘍です」の言葉の後の、CT画像の説明や治療法についての話については記憶がほとんどない。立っているだけで精一杯だったから。

「あとどれぐらい生きられますか?」とだけ声を絞り出した。私たちが少し異変を感じ始めた昨年の夏ごろに発症していたとすれば、あと半年ぐらいではないかという答えだった。

恐れていたことが現実になった。という気持ちと、やっぱりそうだったと安堵のようなものもあった。何もわからないまま、対処療法を続けていく事も辛かったから。

今年の桜が咲き始め、散っていくまでの間、日々泣きながら過ごした。

もう来年の桜は見られないんだろうな・・とそればかりを思った。

これから先、桜が咲く季節には今年の桜を思い出すんだろうな。

桜が散って新緑の季節がきた。

元気のない日も増えてきたけど、まだ愛犬は私の側にいてくれる。残された日を一緒にできるだけ穏やかに過ごせますように。



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