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自分の生きる意味を考えてしまう時

この年末年始は久しぶりに体調を崩し、思うように体が動きませんでした。

なんでもできてしまうように感じる体力気力がある時期を経て、
動きたくても動けない時期へ。

でも不思議ですね。
そういう時期にこそ良質な時間を過ごせるようなのです。
本当に必要なことだけを行い、他のことはひと休み。

最初のうちはもどかしさを感じました。
「ああ、間に合わない」。
そのような焦燥感に駆られることも。
ですが気持ちの置き場所を変えてみたら
それは杞憂であったことに気づくのです。

点ではなくて線で見る、面で見る。

そうやってスペースを取り戻していくと、
必要な言葉に出会える時が来ます。

その中の一つに、下のような言葉がありました。

自分の生きる意味や存在する価値は、自分のなかにあるのではなく、自分を必要としてくれる人によって、あるいは自分の生きる社会が問いかけてくることによって、創られていくのではないかと思います。

白石正久『発達を学ぶちいさな本』クリエイツかもがわ

心が疲れて籠っていたい時期は、きっと誰しもたびたび訪れます。
体と心は繋がっていますから、体の疲れが心に響くこともあります。
そのような時には自分の内に答えを探してしまうものですが、
いくら考えても答えは見つからないものですね。

私は上の言葉に出会って、
頭で考えすぎていた自分にハタと気づきました。
自分ひとりだけの世界の中に、探している答えはないのです。

「迷った時はね“どっちが正しいか”なんて考えちゃダメよ 日が暮れちゃうわ 頭で考えなきゃいいのよ 答えはもっと下 あなたのことならあなたの胸が知ってるもんよ “どっちが楽しいか”で決めなさい」

『宇宙兄弟』幼いムッタへのシャロンさんの言葉

自分を必要としてくれる人によって、
あるいは自分の生きる社会が問いかけてくる
その時に、自分の胸に聞いていく

頭で考えて知らず知らず背負ってしまっていたものを、
そうやって下ろしていくことで、
きっと体も軽くなっていきます。

「自分」を俯瞰的に見ることができると、面白いものです。
自分を俯瞰的に見ると、
その周りの人や社会との関係性を同時に視野に入れることができます。

生きる意味を考えてしまう時。
自分を取り巻く枠を取り払い、
自分の周りにある、あるいは記憶の中にある
あたたかな目と手に気づいていきたい
ですね。

子ども達には、あたたかな目と手の記憶を
心の中にたくさん持たせてあげたいなと思います。

2024年もどうぞよろしくお願いします。

2024年の私のテーマは(今のところ)
「上虚下実」「Be Laughter(自分自身が笑いそのものになる)」
肩の力は抜きつつも、腰から下はどっしり構え、
しなやかに笑っていきたいものです。


最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、他のクリエイターさんへのサポート及び、息子たちとの”寄り道アイス”に使いたいです。